「命の旅の羅針盤」が必要
2012年7月15日読売新聞より抜粋
面倒を見てきた大切な存在の子供が巣立ち、中高年が自己喪失感に襲われる「空の巣症候群」。そんな私の現状を基に書いた前回の小文には、想像以上の反響があり、「その後の状況はいかがですか?」などと温かい声を掛けてくれる人もいた。
何と言ってもありかたいことに、私たち夫婦にはそれぞれ、かかりつけ医ならぬ「かかりつけ猫」がいて、つぶやきを聞く相手になってくれているのだ。夫には美猫のミーちゃん、私には、その息子のメタボ猫のジンジャー。おかげで、私たちは二人暮らしのリズムに少しずつ慣れてきている。
そこで、有名な小説「吾輩は猫である」を思い出し、その2匹に猫の目から見た暮らしを語ってもらおう。
まず、ミーちゃんいわく、「私は子供を突き放し、厳しい子離れをしました。自力で生きられるまで育てたら親の責任は終わり。息子は同じ家にいますが、干渉しません。その点、人間は子離れが難しいようですね」
すると、ジンジャーが首をかしげる。
「お母さんは僕のこと全く無視だよ。寂しいよ。お母さんが、もっと年を取ったら、僕の助けはいらないの?」
ミーちゃんが言い返す。
「猫は自分の命に自分で責任を持つのよ。どんな動物もそれは同じだと思うわ。寿命が間近にきたら、私たちのような家猫は静かに旅に出るか、どこか暗い場所を見つけてうずくまり、お迎えの時を待つの。怖いことではないのよ。自然の摂理だから。この点でも、人間は対応に困ってるわね」
これにジンジャーは
「僕の女主人(筆者)も『お年寄りの人生の最期をどう支えたらいいのか』つてよく悩んでいるよ」
と同調する。
人間の世界では、命の最期に近くなり、食べられなくなっても、医療技術の進化によって、胃ろう(外から胃に小さな穴を開け流動食をチューブで流す方法)や24時間の高カロリー点滴など、寿命を延ぱす方法がたくさんある。
こうした現状を見ると、どう生き抜くのか、元気な時に本人が冷静に考えることが大切になる。私の外来では、親しくなった高齢の方々と。いのちの遺言書を一緒にじっくりと検討している。それは、寿命を安心して生き抜くための「命の旅の羅針盤」と言っても過言ではない。