大自在(2007/2/17静岡講演の関連記事)
人生の終末はどこで、どう迎えたらいいのか。がんによる死亡が増え続けている今、その問いは年々重くなっているようだ。病院で身内を看取った経験で言えば、「最期は畳の上で死なせてあげたかった」との思いが頭の中から離れない
患者が病院の生命維持や治療の装置に囲まれ、苦しんだ末に亡くなった場合など、とりわけその気持ちが強いのではないか。最期は住み慣れた自宅で、という思いは多くの人々の願望でもあろう
「在宅医療」の道を選び、昨夏妻を看取った元島田市長森昌也さん(九六)の手記「妻が送った穏やかな日々」が印象に残る。昨年末の本紙夕刊に載った。妻敏子さんが胃がんで余命一年未満と知らされたとき、森さんは「妻にとって最も大切なのは精神的安定による心の安らぎ」と考え、在宅医療を決意する
携帯電話で、夜中でも直ちに対応する素晴らしい医療チームに支えられた在宅医象だった。亡くなる二日前、敏子さんはほほ笑みを浮かべ、かすかな声で「さようなら。幸せな
一生でした」と森さんに話しかけた。森さんは、それが悲しい決別の言葉ではなく、がんとの闘いを超越し世の苦難からも解放された、敏子さんの勝利の宣言だと感じたという。森さんは、その日の日記に書いた。「敏子勝利。敏子萬歳」と
かつて水泳大会で大活躍した末期がん患者が、水泳のコーチをしたいと言った。看護師たちを指導する患者さんは実に生き生きとした表情を見せた。
先日開かれたフォーラムの基調講演で、在宅医療に取り組む山梨県の医師内藤いづみさんが語っていた
大事なのは、患者の思いに寄り添うこと。その代名詞が「畳の上で」ということだろう。
(静岡新聞平成19年2月27日「大自在」より抜粋)