女の子同盟の呼びかけ人、中村桂子先生へ
中村桂子コレクションいのち愛づる生命誌「つながる」(藤原書店刊)月報に私のエッセイが掲載されました。
女の子同盟の呼びかけ人、中村桂子先生へ
――『「ふつうのおんなの子」のちから』を読んで。
内藤いづみ
中村先生の生命科学者としての業績や発信するメッセージへの称賛は世界中に溢れています。私も称賛を捧げる者のひとりです。
ご縁があって、一〇年程前に生命誌研究館へお訪ねして、対談をさせて頂きました。横綱と十両くらいのランクの違いだなぁと内心思いつつ向かい合った中村先生は、真っ直ぐに私の問いに答えて下さいました。
先生と共鳴しているかもしれない、とその時ほのかな想いを私は抱いたのでした。その想いは、『「ふつうのおんなの子」のちから』というご本を読んで更に確かなものに変わったのでした。
ホスピスケアや在宅の看取りの厳しい現場でいのちに向かい合い、いのちとは何かを学び続けている私や仲間たちが、中村先生のお話に触れると、温かさと同時に力強い勇気に満たされます。三八億年のいのちの連続の今に居る私たち。視野が一気に広がります。心の中のモヤモヤが消えていきます。
いのちの最期に向かい合う時。それは、関わる者たちだけが体験できる閉じられた大切な濃密な空間。逝く人もケアする人も、その人たちの生き様のまま、押したり引いたりしながら合格点の着地点を見つける道のり。エネルギーの渦巻く時間です。私たちもその渦の中に巻き込まれながら、そばにいます。でも、その空間から、時には抜け出して大空を飛ぶ鷲のような視点が欲しくなります。
「三八億年のいのちの歴史!」
中村先生のそんな声が、私たちに飛翔力を与えて下さるのです。そして、空から広々と眺めた後、私たちはまた地上に戻り、寄り添う仕事を再開できるのです。
私は四歳頃から読書を始めました。
「竜の目のなみだ」「泣いた赤鬼」「手袋を買いに」とか今も思い出します。幸せとか喜びは薄っぺらなものではなく、悲しみや思いやりに裏打ちされた厚みを持っている、そんなことが少しわかっていたのか、どうか。そんな文学少女の私が理科系の受験を課せられる、医学部に入学できて医者になぜなったのか? 今ならこう答えると思います。
「ふつうの女の子のちからに押されて、いのちを学びたかった」と。その学びの道場が、在宅でのいのちの看取りだったのです。今もまだその道場にいます。
私の中学三年(一五歳)の卒業文集のタイトル「人類の未来」。かなり真剣に人類の未来を心配しています。「交通事故、ベトナム戦争、核実験、公害、自然破壊など。過去から未来への橋渡しする鎖の一個である私は、人類の滅亡ではない未来のために何をしたらいいのだろう? とにかく全人類が相違を乗り越えて心と心の繋がりを持ち、助け合い、力を分かち合うことだ」と大人が聞けば鬱陶しいほど、ストレートに述べています。だから、グレタ・トゥンベリさんがひとりで各国を周り、「地球環境の改善のために、大人はもっと真剣に動いてほしい。子供たちの未来のために」と強く、時に怒りまで込めて主張する姿に「おかしい! 嫌なものは嫌。ひとりでもきっぱりと主張して行動する!」という彼女の内なる「ふつうの女の子のちから」と、五〇年前の自分を思い出して深く共鳴したのです。
私が新米医者になった頃、二四歳の末期がんの女の子に出会いました。余命わずかなその子は、静かに入院生活に耐えていました。親しくなった時、私たちは夜の病室でヒソヒソと話をしました。彼女は体中管に繋がれていました。
「今はつらいね。具合良くなったらどうしたい?」
「え? 希望を言ってもいいの?」「もちろん」
「家に帰りたい。始末したいものがある」
その子はキリリと覚悟を秘めた目でそう言いました。
「わかった! 私に任せて」
お母さんに相談すると、彼女とそっくりの輝く目で答えました。
「わかりました。娘の望みが私の望みです。先生手伝って」
「はい!」
私はドキドキしました。今思えばお母さんにも、どうもふつうの女の子のちからがありそうだとわかったからです。私の責任は重い。私は女の子の脱出隊長だ。彼女のためにひとりでも頑張るしかない。そう決意しました。
そして、小康状態になった時、タイミングを逃さずスルリと退院したのです。当時は、在宅ケアは世の中にほとんどなく、家族にとっては勇気のいる決断だったと思います。私はできる限り彼女の元に通いました。不思議な安心感が家に満ちていました。三ヶ月後、その子はお母さんの腕の中で安らかに息を引き取りました。
その後、〝いのちの声をきく〟という大きな課題に取り組んでいます。それができるようになれば、一五歳の時に書いたように、世界中の人との心と心の交流もできるようになるかもしれません。それは世界平和の第一歩です。(こんな風に女の子はとかくはっきりと言い過ぎる傾向があるのです。お許し下さい)
世の中の主流の動きに流されず(ここまでくればそれは当然です)ふつうの女の子のちからを磨き、良き隣人としての医師を目指して歩みます。
中村先生のおかげで、女の子の道の前進に拍車が掛かっています。
(ないとう・いづみ/在宅ホスピス医)