お手紙

高橋さんのフェイスブックより

~お葬式は生きる儀式だと思う~これは最近テレビで流れる大手葬儀社のCMのキャッチコピーだ。

そのCM映像は葬儀を「悲しみの儀式」ととらえるのではなく、故人の生前を「思い返す儀式」にしようと‥‥「死の悲しみ」をバックグラウンドに置きながら、「生前」の姿に焦点を当てる‥‥「生前」が前面に押し出され「あの時は、こうだったよな」という「思い返し」により、確かに「死」は「悲しみ」だけに集約されるものではなくなる。CMには「感慨」や「納得」が笑顔とともに流れるのだ。

体調最悪だった8月2日(意識が混とんとして夜間緊急に駆け込む2日前)、ぼくは名古屋に行った。笹原留依子さん(納棺師)に会うためである。笹原さんは、たとえば、東日本大震災で被災して損傷を受けた遺体、あるいは、発見が遅れ激しく傷んだ遺体を生前と同じ表情に、しかも微笑みをたたえた表情に戻すという驚くべき仕事をされている。

ぼくは震災直後(3月13日)、南相馬に入り、諏訪中央病院の医師・看護師と共に入り南相馬市立総合病院を拠点に医療支援と各方面とのコーディネートを行っていた。同時に毎朝、相馬農業高校の体育館に安置された200名にもおよぶご遺体にお経をあげることを日課としていた。棺の中の遺体は、すさまじい津波の圧力で身体全体が内出血を起こし、総じて皮膚が真っ黒に変色していた。損傷ももちろん目についた。

そのころ、笹原さんは東日本の沿岸の遺体安置所を回っていた。遺体がどのように厳しい状況になっていても、生前と同じ微笑みを浮かべた面影を復元するためだ。遺体と向きあい棺のフタを開けた瞬間は、その変わり果てた姿に、遺体が発する死臭に、もう生前の姿には戻らないとあきらめを持つ遺族とも向きあわねばならない瞬間だ。だが、そこから笹原さんは「仕事」を始める。あらゆる技術を駆使し、その人の面影を追い続け生前への復元を行う。

2012年8月に放映されたNHKスペシャル「最期の笑顔」には、震災後1カ月経って発見された40代女性の面影を復元するシーンがある。まだ小さい4人の子どもたちを残して亡くなった母。生前のやさしい面影を子どもたちに見せて送り出したいという夫の願いを笹原さんは引き受けたのだ。故人と1対1で向きあいながら、笹原さんは故人の「笑い皺(じわ)」を探し、そこから故人の笑顔を復元していく。津波により生命を奪われ、生命活動を停止して1カ月。そんな状況から面影を取り戻す作業の困難さは計り知れない。

復元後、夫は改めて妻の顔をのぞき込み、「ああ、佳子だ、佳子だ」と妻の生前そのままの面影を確認し、名前を呼ぶ。笹原さんはその脇でそっと「握ってあげてください、手を」と言う。凄い! この一言に笹原さんの復元に関する高度な技術と死者と遺族に対する優しさがはっきり見える。

笹原さんと逢いたいと思い始めたのは数年前のことだ。今年6月横浜パシフィコで行われた「フューネラルビジネスフェア」で互いが講演したのだが残念ながらニアミス。それを察した主催者の吉岡真一さんが仲介してくださり、逢うことが叶った。

じつはぼくの葬儀も笹原さんと同じく「亡き人の人生の復元」を中軸として葬儀の中に「その人が生きた証」を求める。そのために死を見据え、遺体と語り、遺族の話を丁寧に聴く。そしてそれを1時間ほどの葬儀に反映させる。これはとても労力のいる作業だ。一つの葬儀に全身丸々入れ込んでいかねばこの仕事はできない。そして多くの場合、そこには遺族の納得と穏やかな笑顔があった。

同じことが在宅緩和ケアをしておられる内藤いづみ先生にも言える。まさに旅立とうとしている患者さんの「生きてきた軌跡」を見送る家族に確認してもらう「いのちの復元」という仕事をされているのだ。医療者としての権威をあえてひけらかすことなく、卓越した緩和技術をすんなりと使い、エンドステージにある患者さんと家族の一体化を「復元化」を以って図る。内藤先生が記録された病床の写真には、患者さんを囲む穏やかで温かい家族の笑顔がいっぱい見える。

エンドステージ、死の瞬間、納棺・通夜、葬儀‥‥これは別れの悲しみが充満したプロセスだ。人間の死にはそんなイメージがつくりあげられている。だが、旅立つ人の「いのちの復元」はそれによって亡き人との関係性の把握と整理が可能となり、悲しみを緩和することができるのだ。そう言った意味では~お葬式は生きる儀式だと思う~とのコピーは正しい。

だが、生きる儀式を執行することはとんでもない労力が必要だ。そんな覚悟が葬儀社にあるか? 加えて納棺は納棺師がやるもの、「そんなのオレの仕事じゃねえ」と思い込んでいる坊さんたち、一方、壮絶な死へのプロセスを知ることもなく、きれいに整えられた遺体の前で経を誦むのが仕事だと思い込んでいる坊さんたち、君たち、何か大切なものを忘れてしまっていないかい?