ホスピス記事

白衣を脱いで魂に向き合う


私は、外来診療以外は白衣を着ない医者です。目立たないカバンに聴診器と血圧計と、時には注射器などを持って、重症の患者さんの待つ家に往診します。近い所には自転車で伺いますので、患者さんの近所の人が私を見ても、その姿は決して医者には見えないはずです。白衣を着ていなくても、患者さんやご家族は、私のことを「先生」と丁寧に呼んで下さいます。それがとても有難く、感謝の気持ちが湧きます。
皆さんは病院に行って、白衣を着たお医者さんの前に座ると、自分が小さく萎縮したように感じませんか?いくら世の中は“患者様中心主義”などと騒ぎ、医療者たちの接客態度は、デパート並みにご丁寧になっても、病院を背景にして、そこで働く白衣のお医者様たちは、とても偉く、権威的に見えるのではないでしょうか?病気を持つと不安の気持ちでいっぱいですし、何より、自分の病気の治癒への大きな影響力を持つ医者のシンボルは白衣でした。
jyodoshu.GIF私は、イギリスで学んだホスピスケア=進行がん患者さんたちへの支援=の普及に、この20年程努めてきました。私の住むのは山梨県というやや田舎の地域ですが、この20年でホスピスケアへの関心は段々と大きくなっています。それは、身近に(本人も含めて)がん患者が増えてきたからです。他人事では済まなくなっているのです。末期がんになった時、もういのちが限られていると分かった時、人は何処に居たいのか、私はいつも考えてきました。出来れば住み慣れた家に最期まで居たいと多くの人が望んでも、日本では8割以上の人は、今も病院で亡くなっています。イギリスでは、ホスピスのスペシャリストチームの助けを借りて、患者さん方は身体の痛みを緩和し、穏やかに自分の人生と家族に向かい合うことが出来ました。私は日本でも、そのようなことが可能だと、どうしても伝えたかったのです。
人生の最期を迎える人は、地位も名誉も経済力も、もはや大きな力はないと気付き怯えます。そして、心から分かるのです。最期に至って、意味があるのは、人生をどう生き、どう隣人や家族を愛してきたか、ということだけだと。そう気付いて、改めて人生に向かい合い、最期まで必死に生き抜く方々に、私もまた、白衣を脱ぎ、未熟で愚かなひとりの人間として、向かい合うことを選びました。(・・・というと、少しかっこ良過ぎですね。)
先日、手術や抗がん剤の治療の効果もなくなり、今後は何とかがんと共存して、残りの日々を自分の家で過ごしたいと希望する、70代の男性が外来にいらっしゃいました。
「もう、病院は嫌です。ずっと家に居たい。」
その方は強くそう言いました。それぞれ家族を持っている子供3人が、
「頑張って支えます。」
と約束しました。
残念ながら、病気の進行は止まりませんでした。しかしこの方には、やり遂げたいことがふたつ残っていました。自分が総代を務める寺の親しい新住職の入山式に臨席することと、久しぶりに東京で昔の小学校の同級生たちに再会することでした。
「父は私たちのために、これまで何でもしてくれました。今度は私たちが父のために・・・」
お子さんたちは涙を隠してお父さんを支え続けました。1ヶ月の間にどちらの行事も無事やり遂げました。そしてその後気力を使い尽くしたのか、急に呼吸が苦しくなって、いのちの最期に近づくサインが見えてきたのです。最期までなるべく苦しまないようにするのが私の仕事ですから、一生懸命働きました。
「このまま家に居ていいですね?」
と尋ねると、肯き
「ありがとう」
とかすれた声で仰いました。それを最期の言葉として残し、深い昏睡状態になりました。2日間を安らかな眠りで過ごし、愛する家族から擦られ、撫でられ、多くの言葉をかけられ、そして皆が最期の息を平和の心で見届けました。こんな安らかな最期があることを、家族はあの親しい若いご住職にきっと伝えて下さることでしょう。
(浄土宗新聞 2007年2月1日号より抜粋)