私の読書日記 内藤いづみ
3月8日に新潟県糸魚川市に講演でおじゃました。
フォッサマグナという本州中部を南北に横断する大きな断裂帯。西縁が糸魚川。もう一方のはしが静岡。私のふる里六郷の近くの富士川もそれに含まれていて、幼い頃からその単語に馴染みが深い。フォッサマグナは地震発生にも深い関わりがある。勾玉についての説明もある。
その糸魚川では太古より“魚のなみだ”と呼ばれて珍重された、翡翠(ひすい)という宝石が産出されている。太古にはそれが宗教的にも重要な勾玉(まがたま)になったらしい。そんなことを考えつつ本屋に寄ったら、たまたま梅原 猛さんの“古事記”という文庫本が目に付いた。日本の古い歴史を考察する一冊である。
梅原さんは私が大学生の頃、柿本人麻呂「水底の歌」や聖徳太子を題材にしたとてもユニークな(おそらく学術的な物議を醸しただろう)作品「隠された十字架」を書いていて、私もワクワクして読んだものだった。彼の書く「古事記」も面白い。なぜ糸魚川に遠き出雲の神、オオクニノヌシの命の像が建てられているか、よく分かる。縄文時代の言語に残るアイヌ語の影響もとても興味深い。こうして読書は繋がっていく。
梅原 猛さんと五木寛之さんの対談「仏の発見」。五木さんは「親鸞」を研究発表し、今も続編を執筆中。ふたりの対談は親鸞の核心に迫っていく。どうすれば庶民の生と死の苦しみは救われるのか。念仏を唱えれば救われる、というのはどういうことなのか・・・と。
途中この1ヶ月、東日本大震災の影響で心身も周りも落ち着かず、集中力に欠けて読書は途切れた。ようやく最近、梅原 猛さんの「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く
(新潮社)を手に取ることができた。読み応えがある。古代史のロマンを少しずつゆっくり読み進めている。
長い3月だったが、4月になると時が経つのが早い。もう近くでは桜が散っている。
私の仕事机には「虫眼とアニ眼」という宮崎 駿さんと養老孟司さんの対談(新潮文庫)がずっと置いてある。その続きで、いちばん大事なこと ―養老教授の環境論入手。
日本の再生という言葉をよく聞くが、日本という大地の古い歴史とこれからの未来のことを少しだけでも学ぶと、少しだけ肝(きも)が据わるような気持ちになる。