自分がもうすぐ死ぬとしたら、あなたはどこで過ごしたいですか?
(清流2019年5月号より)
著者は、自宅で最期の時間を過ごしたいと望む患者のケアをする「在宅ホスピス医」である。
末期がん患者が多いが、残された時間の過ごし方は、畑で大根を育てたいという人、家族の洗濯物を畳みたいという人、部屋の片付けをしたい人などさまざま。命の数だけドラマがあり、笑いがあり、涙がある。本書は在宅ホスピス医の先駆者の体験から、看取りのエピソードを実例で紹介したもの。
人間は、聴覚、嗅覚、味覚を最期まで感じることができる。それらを満たすことが最期の時間に彩を添える。風の音や波の音に鳥の声、お気に入りの音楽を聴くのもいい。香りも快適に過ごすのに有用で、ラベンダーオイルで体を拭けば、アロマの香りに包まれる。お酒好きな人なら、お酒を口にふくませ味覚を楽しませることもある。
在宅ケアが何年も続けば、家族にとってかなりの負担になるが、著者は経験からこういう。
「病院での治療法はなく在宅ケアになると、亡くなるまでは平均して八〇日ほど。この程度なら、家族が協力して、最期を看ることが可能では」
しかし、本人や家族にも覚悟が求められる。
「私たちのクリニックは、早朝でも、真夜中でも、私や看護師が駆けつけますが、緊急事態時には、家族が何かしらの対応をしなくてはなりません」
だからモルヒネなど、緩和ケアの最低限の知識は家族にも必要という。また、痛みだけでなく、腹水が溜まったり、呼吸困難や咳が突然襲うこともある。だから家族の理解と協力は欠かせない。
著者は、命に対するリアリティーが希薄な時代だから、若い世代にもぜひ読んでほしいという。その希望はかなえられそうだ。現に著者の娘さんは、「この本は、お母さんが作った話なんでしょ?」と真顔で聞いたという。例えば、瀬田さんという末期がん患者の話など、まさに「事実は小説より奇なり」を地でいっている。
瀬田さんは、「友人と麻雀をし、競馬もしたい。一日中ジャズを聴いて、これがいちばん大切だけど、家族といっしょに過ごしたい。この願いがすべて叶うなら、もう俺の極楽だよ」という。瀬田さんの看取りを引き受ける際、「お宅に行くには、路地が狭くて車の運転がむずかしい。そこをなんとかしてくれれば」が条件だった。すると、「俺を呼んでくれ。俺が運転するから」。なんと末期がん患者に運転代行してもらう条件でケアが始まった。瀬田さんは、毎日のように麻雀卓を囲む。馬券はインターネットで買い、ジャズは有線放送で聴き放題。それでも徐々に症状は進み、体も弱ってきた。
ある日、奥さんが著者にこういった。
「あの人が亡くなる日がわかります。もうすぐ競馬の菊花賞があるでしょう。その日に主人の魂は飛んで行ってしまうんじゃないかしら」
奥さんのいった通り、瀬田さんは菊花賞の当日に亡くなった。さらにオチがつく。なんと瀬田さんの買った馬券が、当たっていたのである。
著者は患者からよく、「威張らないからいいし、懐かしい感じがする」といわれる。これは仲間として受け入れられたということ。しかし、慣れ過ぎはよくない。臨終の場は神聖なものだ。息を引き取ったら、死亡確認をする。そして医師として威厳をもって遺族に宣告する。
「何時何分、お亡くなりになりました。お疲れ様でした。よくがんばりましたね」
著者が兄事する元諏訪中央病院院長の鎌田實さんは、「在宅医療、在宅ホスピスを考えたとき、内藤いづみがいるということで救われていると感じることがある。その分野ではあなたはナンバーワンだ」と絶賛した。
終末医療に携わる人たちには大いに参考になるはず。テキストとしても格好の本ではないだろうか。(文= 臼井雅観)