大切な「最期」への備え
2010年10月28日(木) 山陰中央新報より抜粋
末期がん患者らの心身の痛みを和らげる「緩和ケア」をテーマにした公開講座「わたしの生きるところ~笑顔そして緩和の輪~」(松江市立病院主催)が、松江市内でこのほど開かれ、専門医による講演と対談を通して市民ら220人が理解を深めた。
1970年代に国内で初めてホスピスプログラムに取り組んだ緩和ケアの第一人者で、金城学院大(名古屋市)学長の医師柏木哲夫さんと、勤務医を経て95年から在宅緩和ケアに取り組むふじ内科クリニック(甲府市)院長の内藤いづみさんがそれぞれ講演した後、対談した。
対談で2人が指摘したのは、多くの医療現場で、たとえ患者が末期になっても、治療に力を注ぎ、死の準備をする余裕がないということ。がん細胞だけを狙う最近の分子標的治療では、副作用が少ないこともあり、医師も患者、家族もぎりぎりまでこの治療法に望みを託し、最終的に準備なく最期を迎えるケースもあるという。
医療者には「人間力」必要
一方で、「もう治療法がない」との主治医の言葉に、つらい思いをした家族の体験談も会場から寄せられた。柏木さんは、患者を傷つけない伝え方として「これ以上、副作用を伴う治療 を続けることがあなたにとっていいこととは思えない。治癒に向けた治療はそぐわなくても、緩和ケアができる」といった表現を例示し、配慮の必要性を強調した。
緩和ケアに携わる医療従事者について、柏木さんは「例えば救急医療で求められるのは技術だが、患者や家族に寄り添う緩和ケアでは人間力、人間に対する感性が求められる」と指摘。
内藤さんは「最期のみとりの場へと向かう過程で、患者も家族も成長する。忍耐力を持ち、その成長を支えるデリケイトなケアが必要だ」と述べた。
「医療従事者に限らず、わたしたちに、死は敗北であるという考えがある限り、幸せになれないのではないか」と疑問を投げかけたのは柏木さん。「ほとんど起こらない火事のために病院や学校では毎年、火災訓練を行うが、死は発生率100%で、誰にも必ず起こる。自分の誕生日に、死について考える習慣をつけることを勧めたい」と、一人一人が死の備えをしておくことの大切さを訴えた。
延命中心からの転換(柏木氏)
近代の医療は長い間、治療が無理なら一分一秒でも延命する延命中心の医療だった。しかし、患者が多くの苦痛を感じる中で、命だけを延ばす医療でいいのかとの疑問が1970年代の米国で芽生え、少しくらい命が短くなったとしても充実した時間を過ごしたほうがいいのではないかとの考えが生まれた。CURE(キュア=治癒)一辺倒から、CARE(ケア=配慮、援助)も考えに入れようということ。治癒しないときは、症状のコントロールや精神的な支え、その人らしい人生を全うすることのためにケアをしていく。それが緩和ケアだ。
人生や家族にもケア(内藤氏)
病院勤務時代に末期がんの45歳の男性患者と出会った。「痛い」「苦しい」と言いながら亡くなっていく末期がん患者を見てきた彼は「がんになったことはあきらめるけど、痛みだけはいやだ。家族に『ありがとう』も言えぬまま、死ぬのはつらい」と訴えた。モルヒネなどで痛みを緩和しながら、夫婦で外出を楽しみ、病室で開いた誕生日のパーティーでは家族や医療スタッフと後、家族に「ありがとう」と言い残して亡くなった。病気や痛みを診るだけではなく、その人の人生や家族にも深くかかわるのが緩和ケアだ。