柏木哲夫・内藤いづみ「いのちの対話ふたたび」開催報告
2010年8月1日(日)に開催された柏木哲夫先生と内藤いづみの対談、「いのちの対話ふたたび」の様子を、「終わりよければ」いせの会代表の遠藤太久郎さんのレポートでご覧ください。
柏木先生と内藤先生の対談の1回目は、
「いのちについて語りたい」
という題で昨年11月の日本死の臨床研究会(名古屋)でありました。
1時間の短い中で白熱して語られ、お二人は医療者に求められる姿勢を「生命からいのちへ」という言葉にまとめられました。
柏木先生は、ホスピスケアが包含している広い領域のうち、医学的=生命の部分が現在は強調されすぎていると指摘されました。内藤先生も、医療に預けっぱなしだった自分のいのちを自分に取り戻す道だと「在宅ホスピスケア」の実践を語られました。
お二人の現場からの対話は、聴衆を高揚させ、本来のホスピスケアは、平等の視点で患者のいのちに向きあい、いのちの自立をサポートすることだと、会場の誰もが感じました。ホスピス、緩和ケアはシステムだけではないと胸に刻んだ人は多かったと思われます。ぜひこの対話の続きをと期待が膨らみ、「終わりよければ」いせの会に引き継がれる機会を得ました。
「終わりよければ」いせの会は羽田澄子監督の映画「終わりよければすべてよし」の自主上映活動を契機に、2008年3月に立ち上がりました。誰にでも訪れる死をめぐる問題を率直に話し合い、住み慣れた地域で最期まで過ごすことを目指しています。
ほぼ毎月の市民懇談会を活動の柱にして、最初の年は「最期まで口から食べるためのシンポ」を運営しました。翌年は自前のエンディングノートを作る活動に1年をかけました。2年後に地域基幹病院に緩和ケア病棟20床が開設される予定もあり、地域住民が、自らの「終わりよければ」として、緩和ケア病棟の役割や在宅ホスピス活動を理解して、自らの行動も変える努力をしなければならない時期に来ていると、私たちは思っていました。
伊勢市でまもなく62回を迎える伊勢神宮の式年遷宮も、繰り返すということが大切なことです。遷宮が始まる1300年前には建物をもたせる技術が当然あったわけですが、20年に一度建て替えるという道を選び、限りある命をつないで、いのち(魂)の永遠性を、こういう形で大事にしてきた日本の心を思い返してみる場が伊勢であると思われます。
このような御縁を生かして、前日からの宿泊研修も実施し、柏木先生に「死を背負って生きる」をご講演いただきました。希望者には五十鈴川での禊(みそぎ)体験、早朝の内宮正式参拝など、沢山の経験をしていただきました。
当日の対談は、患者さんの「にもかかわらず微笑む」ユーモアの話題から始まりました。病院では入院と同時に、強弱関係が自然に発生します。ユーモアが通じる関係は、そのまま相手を気遣う平等な双方向の人間関係の起点です。
一方で在宅の場は、患者さんのホームグラウンドであり平等に移行しやすいが、医療者にも適応の能力が求められる場でもあります。最近のがん治療では、抗がん剤が効果的かつ楽に受けられるようになったため、過度の期待へ引っ張られ、ぎりぎりまで死を考えようとせず、緩和ケアへの移行と気持ちの受け容れが逆に難しくなっている例もあげられました。
共に述べられた嬉しい経験では、患者さんが慰めの言葉を準備して治療者をいたわる場面があります。最期まで食べようとするのが、生きる事の大事な場と紹介され、それを助けるのもホスピス活動とのお話も尽きませんでした。終わりに強調されたのは、医療・看護・福祉と宗教などの関係者と一般の人々が協力することによってのみ、「良い終わり」を実現できるのではないかと言うことです。
今回は市民を対象に、ホスピスが市民運動として大切なことを分かりやすく解き明かされた素晴らしい時間だったと思います。今後の地域の活動、「終わりよければ」いせの会の存在意義にも、魂を吹き込んでいただいたと感じます。