医療者が受け止めた「お迎え」
2017年10月9日 毎日新聞より
先月末出たばかりの「看取るあなたへ 終末期医療の最前線で見えたこと」(河出書房新社)を読んだ。柏木哲夫、徳永進、内藤いづみ、小澤竹俊らホスピス経験の長い石だけではなく、日本対がん協会会長の垣添忠生、小児科医の細谷亮太、宗教分野から島園進、高木慶子の各先生ら豪華な顔ぶれが執筆している。
編集者から「あなたが死について考えていることを書いてほしい」という依頼文が届き、20人が応じた。一般病院の医師を対象にしたら、こんな本の企画は成り立たない。そこでは「死」は失敗、敗北であろうから。
でも執筆者は何百人、何千人の「死」と向き合ってきたプロフェッショナルだ。
個々のケースは悲しい出来事だけど、それ以上に多様で貴重なメッセージを受け取ってきた。
内藤医師にいわせると、死は残された人たちへの「いのちの切符」なのだという。
興味深いのは、何人もの医療者が「あの世」や「お迎え」について触れていることだ。生と死の境で、患者は周囲には見えないものが見え、先に旅立った祖父母や父母らと語り合っている。
そのことを医療者はそのまま受け止めている。死んだら終わりではない。
つい最近母親を自宅でみとったばかりの、60代の男性に会った。家の片付けがひと区切りして医師や訪問看護師が集まったとき、同席させてもらった。ベッドの母が20年前に亡くなった父親が来ていると繰り返したという。
「認知症のせん妄とは違うんです。夜中の2時ごろ起き出して『ほら、来てるよ』と言うんです」。決して嫌な思い出ではない。ほんの中で、山崎章郎医師(「病院で死ぬということ」の著者)はこう書く。
<死に行く人と交わす言葉は「さようなら」ではなく「また、会いましょう」となる>
一方、終末期医療関連の本がたくさんある長尾和宏医師は「あの世はあるわけ無い」と断言している。
<あの世が無いからこの世でしっかり生きよう、ではなぜいけないのか>。
この割り切り方もまたすがすがしい。