米沢慧さんとの往復書簡

対談 『往復書簡 いのちのレッスン』をめぐって

091228_05.JPG2009年12月11日、雲母書房にて米沢さんとの対談を行いました。


◎自分の「病い」を引き受けるということ
内藤 たくさんの方から新刊の感想が届いていますね。お互いに10年ぶりのやりとりだったので、その間の2人の成長の過程がみえて良かったですね。米沢さんは書簡のなかでプライベートな部分を出してくださいました。予想以上に反響が大きいんですよ。
米沢 この書簡はスタートから構えないでやろうとおもっていました。二人でキャッチボールができて、読む人に自然に入ってきてもらえれば、という気持ちでした。毎回、次に何を書くか決まっていなかったので、素直に自分の問題意識をぶつけあうことができました。すごく楽しかったですね。結果はあらかじめ9章分のテーマを決めてから始めたような本に仕上がりました。
内藤 いろいろ仕事をかかえてしまって返事が遅れることもありましたが、それも含めながらライブの力がありましたね。最初はキューブラー・ロスから始まって、そこに岡村昭彦やシシリー・ソンダースが入ってきました。さらに自分たちの過去や苦しみが入ってきて、お互いの「いのちの物語」を紡げたのかなという感覚です。
 米沢さんは評論家なので話を深く掘り下げていくことができます。今回は、具体的なところも多かったけれど難しい話も多かったので、どういうふうに進めていったらいいか迷った部分もありました。でも、読んでくださった方が、老いや病いを生きることを自分の問題として深く受け取ってくれて、いろいろな人のところで話題が広がっていきました。
米沢 読者からの声に裏打ちされているのは、キャッチボールをしているから生まれる問題意識があるということです。具体的には第3信でとりあげた「病いる」という言葉に引っかかった人が多く、言葉の専門家から質問を受けたりもしました。
 この「病いる」について講演会で話したところ、私のところでも子どもの頃に使っていた、という人がいました。宮城県の鳴子温泉の方です。すぐに医者にかかれない時代、自分で判断するときに「病いる」という言葉を使ったといいます。「病い」には、医療に関わったときに起こる病気と、自分の中で引き受けていく病いと、ふたつの捉え方があるということです。
内藤 今のお年寄りの中には、自分の「病い」を引き受けるという感覚をもてない人が多いですね。現代医療に期待するところがすごく大きいのでしょう。ますますそういう方向に傾いていると思います。
米沢 先日、96歳の母を亡くしたという60代の女性が、看取っていく過程でこの本を読んでくれました。最後には「もう家に帰りたい」という話になったそうです。そのとき、お母さんの「死ぬ過程」が、本文中に出てくる私の看取りのエピソードと一致した、ことにおどろいたそうです。この方は、母親の死を肯定するために、お香典返しとして購入していただきました。また、宗教について書かれている部分がないけれど、浄土真宗のお坊さんも買ってくれました。
内藤 今年、私は絵本『しあわせの13粒』を出しました。これは誕生祝いと結婚式の引出物になりました。『往復書簡 いのちのレッスン』がお香典返しになったのもうれしいです。自分の母にもお香典返しにどうかと勧めているところです(笑)。



◎岡村昭彦を通じた「ホスピスケア」の広がり
内藤 「いのちのレッスン」というタイトルも良かったみたいですね。 これはキューブラー・ロスの著書『ライフレッスン』からとりましたが、ひらがなの〈いのち〉であるところが違います。表紙の岡村さんの写真もインパクトがありますね。手に取った方から「これは何ですか?」と聞かれるので、あとがきを読んでもらうと納得してもらえました。
米沢 2009年11月7~8日に死の臨床研究会の年次大会が名古屋国際会議場で行われました。私も内藤さんも講師として参加しました。
メインシンポジウムのテーマは「ホスピスへの遠い道 その歴史と現在・未来~マザー・エイケンヘッドと岡村昭
彦」です。「AKIHIKOの部屋」では、岡村昭彦の報道写真や蔵書が展示され、トークセッションも行われました。
 シンポジウムの中で、私は壇上から「現在、死の臨床は緩和医療に取り込まれてしまっていて、ホスピスケアの理念が欠如している」と言いました。すると、その発言に触発された山崎章郎さん(ケアタウン小平クリニック院長)が、「私も緩和ケア病棟という考え方は間違っていると思います」と客席から声を上げました。そうしたら会場が静まってしまったんです。
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内藤 山崎さんは全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会の会長ですね。緩和医療とがん対策基本法のことを知っている人は多いけれど、それ以前の歴史や苦労をわかっている人は少数派です。同じように疑問を
感じている人は多いと思います。共通認識をもっていながらも、緩和ケアの概念には収まらない人たちが増えていっています。
米沢 このシンポジウムに向けて連載コラムに岡村昭彦のことを書きました。『選択』という企業経営者や文化人向けの定期購読雑誌です。そのコラムを読んだ日本財団会長の笹川陽平さんが、自身のブログで「ホスピスケアを日本に最初に紹介したのは岡村昭彦である」という私の記述を採り上げてくれたんです。財団としてホスピス関係の医学教育を支援したいと書いてありました。こういう人が本気になってくれるのは心強いですね。本の出版や学会の開催という流れの中で、目に見えるところで状況が好転してきています。
内藤 岡村昭彦さんの思想は、彼が亡くなったあとも、たくさんの人に影響を与えています。改めてすごい人だなと思います。



◎キューブラー・ロスに学ぶ「明け渡しのレッスン」
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米沢 この往復書簡で改めて議論しようと思ったのは、キューブラー・ロスの遺産についてです。『死ぬ瞬間』に書かれていることだけを取り上げるのではなく、『ライフレッスン』の考え方を取り入れないと、彼女の偉大さが見えてこないと思うんです。
 この『ライフレッスン』では、「明け渡し」と「許し」が出てくることで「和解」につながっていきます。ロスは「死の専門家」だといわれていますが、実は「生の専門家」でもあるんです。みずからが「死ぬ過程」に入って、いのちが還りの状態になったとき、生の深さに出合ったということです。『死ぬ瞬間』だけを読んでいては、ロスの真意はつかめないと思います。
内藤 そのことをお伝えできる患者さんがいます。社長をされていて趣味も多彩な方でしたが、主治医とうまくいかなくて、8ヶ月前にがん難民になりかけました。彼を引き受けることになった私は、「自分の趣味などをゆずる人を早く見つけてください」と言いました。それでも、彼はすぐには決心できませんでした。
 ある日、熱が出て痛みも増したというので、往診に行きました。この日は、この方の話を聴くためだけに2時間かけました。そうしたら「おれの人生のまとめをみてください」と言われました。
会社関係や趣味関係のきちんと整理したファイルを取り出してきて、これまでのことを話してくれました。
 帰り際、奥さんに「今日は落ち着いてすっきりした顔をしているけれど、いのちの最期は近いと思います」とお伝えすると、すごく慌てた顔をされたんです。「だって今日は先生が来たら、すごく元気になって、調子がよくなって、素直でかわいいのに……」と肩を落とされました。それから2日くらいで急変して緩和ケア病棟に入院することになりました。
 亡くなる3日前にお見舞いに行くと、肩書きやしがらみを捨てて、少年のような表情になっていました。私は「具合が悪いなんて嘘ですね」といいながら彼の肩を叩いて、「安心して旅立ってください」と伝えました。もうだいじょうぶという直感があったからです。彼も「出会えてよかったです」と伝えてくれて、家族との時間にも感謝していました。「明け渡し」の時がこうしてくるんだなと思いました。
 患者さんのこういう状況に立ち会えることは多くありません。彼は次の日からターミナル期に入っていきました。彼は趣味でおそば屋さんをしていて、私は形見のようにお椀を2つもらいました。これは物質的な明け渡しですね。
 「生命(いのち)とは延命もできる有限なものだ。でも〈いのち〉は永遠なものだ」と思っていました。昨日、お葬式で参列者にあいさつしたとき、「お骨はありますが、彼が遺していったものを感じられるということが、〈いのち〉の永遠性だと思います。この永遠の〈いのち〉は、彼からのプレゼントです。それを大切に使ってください」とお伝えしました。
米沢 こういう深いかかわり方は、内藤いづみさんのような在宅医、臨床家にしかできないでしょうね。ホスピスケアのあり方を考える際に、私たちの往復書簡での議論が役立ってくれることを願っています。
内藤 〈いのち〉について深く考えるきっかけがたくさん入っているので、専門学校や大学などでテキストに使ってほしいですね。読んでいただいたみなさん、ありがとうございます。まだ読まれていない方も、ぜひご一読を。