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種をまく人 内藤いづみ

「MOKU」2016年6月号より
山梨県立美術館はミレーの絵のコレクションで有名である。しかし、この計画を昭和50年に発表した当時の田辺知事は、関係者から猛反対をうけた。

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経済的にあまり豊かでなかった山梨県に、全国初であるそんな贅沢な美術館が必要なのか?〝メシの種″になるのか、という意見が主流だったらしい。
しかし、知事は困難を乗り切り、ミレーの「種まく人」をオークションで、2億円で落札し、美術館は昭和53年にオープンした。
今や年間12万人が訪れる日本有数の美術館になった。その後、多くの地方美術館が全国で生まれた。反対していた人たちは大賛辞者となったのは言うまでもない。

山梨県は長年〝文化不毛の地″と言われてきた。豊かな自然という宝ものはあったけれど、人材は都会に流出してきた。その地に文化の種がまかれたのだ。

「文化」が成長するのには気の遠くなるような時間がかかる。その文化の種をまいた人が、その発芽と成長をみることができないことも多いだろう。文化の担い手の芸術家も、生きている間には正当な評価を受けず、困窮を極めた人生がよく語られる。

しかし、世界中で文化を応援する人たち、パトロン、素封家たちの存在があったのも事実だ。歌川広重は、甲府道祖神祭りに使う幕絵を描くために招かれ、その様子を日記に残している。葛飾北斎も逗留しながら富嶽36景を仕上げた。そのひとつ、身延川裏不二は私のふるさとの近くの風景である。

日本では造り酒屋が地域のセンターとして応援団のリーダーの一角を担っていたのでは、と私は考えている。私がなぜここで造り酒屋について熱く語るのか白状すると、くだんの田辺知事の生家も酒屋さん、そして私の身内にも酒屋さんがあって、幼心に残る酒屋が支える地域の歴史の重さと文化後援者のかもし出す空気の思い出が忘れられないからである。

4月号で、末期の日々に大根の種をまき、それを収穫できた患者さんのことをお話した。介護した娘さんのお腹の中には赤ちゃんがいたことが後でわかった。それを知らずにその方は天国に旅立った。一周忌には、かわいい女の赤ちゃんが娘さんの腕に抱かれていた。

そして17年が過ぎた。おじいちゃんに会ったことのないその子は、いのちに向かい合う看護師を目指すと決心し、この4月、看護学校へ入学した。孫さんの誇らしい笑顔は、おじいさんによく似ていた。おじいさんも、娘さんも、そしてホスピスケアでいのちに向かい合った私たちも、17年後にそんな芽が伸びていくとは夢にも思わなかった。

4月号では自分が暮らしてきた秘境の村で自分の望んだ最期を送った方のお話もした。2月頃、その方と「お花見をしようね」と約束を交わした。桜公園の横が村のお墓だった。その桜は半世紀前にその方と仲間が植えたものだった。

亡くなった2ヶ月後、桜は満開になった。奥さんと孫さんと一緒に坂道を登り、お墓参りをして、桜を見た。桜の花はこの世とあの世を結ぶ並木道に咲いているかのような不思議な美しさだった。

この世に生まれてきた者は誰もがきっと必ず何かの種を持っている。それに気づかない人もいる。困難な人生を歩んでいる人もいる。
でも、他人を羨むことも、自分の現実を悲しむ必要もない。みんな等しく人生のどこかで種をまいている。

そして、長い時の流れの中で、その種はきっと芽を出すはずだ。それを信じて人生を歩めたらこんなに幸せなことはない。