自分らしく最期まで (中國新聞 平成18年11月27日より)
在宅ホスピス 甲府の内藤いづみ医師に聞く
甲府市で診療所を開業する内科医師内藤いづみさん(50)は、十数年前から末期がん患者の在宅ホスピスに取り組んでいる。先月末、下松市の特定非営利活動法人(NPO法人)「周南いのちを考える会」に招かれた市内で講演した内藤さんに、住み慣れた家で最期を過ごす意味を聞いた。
黄金色の稲穂の中で満足そうに笑う人、孫たちのためにチューリップの球根を植える人。在宅で過ごす末期がん患者たちの生き生きとした写真が映し出された講演会場。「人生の最期にしたいことは、それまでの人生の繰り返し。死を意識すると目の前にある幸せに気づく。と内藤さん。
在宅ホスピスの良さを「最後までその人らしくいられること」と語る。
8割が病院で死
五十年前、ほとんどの人は自宅で最期を迎えていた。医療の進展と病院の増加につれ、「病院でみとるのが親孝行」とされ、一九七七年には病院で亡くなる人と自宅で亡くなる人が半々に。そして今や八割近くが病院で亡くなる時代になった。
その一方、がん末期も自宅で過ごしたいと望む人は六割に上るというデータ(21世紀ヒューマンケア研究機構調べ、二〇〇三年)もある。四十歳以上の末期がん患者にも介護保険が適用されるようにもなり、国も在宅ケアを推進し始めた。しかし、内藤さんは「自宅で亡くなる人が今の倍になると国の予算は7千億円節約できるらしい。希望がかのうのはいいが、やり方を間違えると、目的と希望が逆になる」とくぎを刺す。
内藤さんは六歳の時、母親が乳がんを患った。無事回復したが、「人は突然、死を突きつけられる」と強く心に残り、ホスピス医になる原点となった。医師を目指して進学した医学部では、病を見て人を見ない勉強に違和感を覚えた。
生活の場で笑い
医師になってすぐ同年代の末期がんの女性患者を担当した。「家に帰りたい」と望んだため、退院を助け約三ヵ月の在宅ホスピスを支えた。
ある日、女性が「夜中に私が息をしているか父が確かめに来る」と話し、笑い合った。「悲しくて、つらいけど、生活の場のケアは笑うこともできる」と知った。
医師は患者の死を「敗北」と考えがちだ。しかし、内藤さんは在宅ケアで患者を見送った後、葬儀に呼ばれることを「最大の名誉」と思う。
長男が小学生のころ、「医者は病気を治すのにお母さんが往診に行くとみんな死ぬ」と不思議そうに尋ねた。「命は救えなかったけど、生きていてよかったと思ってもらう仕事をしている」と答えた。「先進的な医療とは違うけど、いずれ最先端になる」と確信。やっと時代が追いつき、今は在宅ホスピス医の草分けの一人だ。
核家族の中で
核家族化が進み働く女性が増える中、「家で過ごさせてあげたくてもできない」という切ない声も耳に入る。「そういう人たちを責めることはできない。医療の体制も不十分だし、地域の力でちょっと手伝ってあげて、希望をかなえてあげられるようになればいい」と願う。
十数年前から診療の合間に重ねる講演は六百回を超えた。「命の終末をどう送ろうか、と考えられる社会は幸せ。戦争や貧困の中ではそんな余裕はないから」。住み慣れた家で最期を迎える「豊かな死の文化」の大切さを伝え続けている。
中國新聞 平成18年11月27日より