往復書簡(米沢慧様)Vol.9 往
お互い日本全国へ講演やセミナーであちこち移動しながらの忙しい1ヶ月でしたね。私は書簡にとりかかるタイミングを逃してしまい、前回の時から随分間が開きました。新聞の連載は締め切りがあるので必死に書きましたが、締め切りがないのでつい気持ちが緩み、失礼致しました。しかし、忙しいといいながら、クリント・イーストウッド監督・主演の映画「グラントリノ」は観ました。老いの生き方を考えさせられるなかなか唸る映画でした。
この書簡では、エリザベス・キュブラー・ロスの死と死ぬ過程、愛と許しをめぐるたくさんのレッスンが続きました。日本へ初めてホスピスの起源を伝え、いのちの大きな問いかけの種を蒔いたオカムラアキヒコ。イギリスで始まった現代ホスピスケア啓蒙のリーダーであるシシリー・ソンダース。私の出会った患者さんたちのエピソード。日本の社会に広がるいのちへの無関心と、老いを支える力の脆弱化。緩和ケアとホスピスケアの比較。レッスンは広がり、重なり、尽きることはなさそうです。広がりすぎて、ロスの核心への踏み込みは今ひとつだったかもしれません。語り合いたいことはたくさんありますが、ぜひ次回への課題にさせて下さい。
私は4月から5月にかけては、ゆっくりじっくりと60歳の男性Oさんのいのちの日々に向かい合いました。横浜で自然分娩のお仕事をなさっている池田明医師が、先日私のことを「いのちの番人」と呼んで下さいました。これを聞いてとても嬉しく感じました。まさしく「いのちの番」をさせてもらっているからです。
このOさんはずっと健康で過ごしてきて、国民健康保険料をずっと納めていながら、医療のお世話になることはなかったのです。そして3ヶ月前に調子が悪くなり、初めて病院へ行くとがんが見つかり、手遅れだということがわかりました。家の管理をパーフェクトにこなし、家族の面倒をみてきたOさんは、自分の気持ちが出しやすい家に居ることを望んだのでした。
「病院では気を使ってしまい、自分の希望を言いづらいのです。リラックスできません」と、Oさんは初めてお会いした時におっしゃいました。たとえば「お腹が痛い」ということでさえ、医療者に言うには患者さんは勇気がいります。3人の訪問ナースがチームで関わってくれて、Oさんは自分のペースで過ごしました。トイレに行く、というOさんが一番拘った尊厳がぎりぎりまで守られました。
Oさんの病室の窓を開けると、田んぼから緑の風が吹いてきます。明るい病室です。ある日往診すると、かわいらしいケーキが用意されていました。
「久し振りにドライブしたら、本人が有名なケーキ屋を見つけて、あそこだ、あそこに止めて、と指さしました。内藤先生たちに、と買いました」とご家族が説明して下さいました。ありがたく美味しく頂いたのはもちろんです。Oさんは一口しか食べれませんでしたが、嬉しそうでした。
ところで、家で末期がん患者が安らかに過ごすためには、体の痛みを緩和することが第一にくることをこの書簡でも繰り返しお伝えしてきました。
「軽い痛み止めから強い痛み止めまで、それぞれの痛みのレベルにあった痛み止めを使います。心配はありませんよ。変化を私たちに伝えて下さいね」
Oさんは「安心しました」と笑いました。
15年前と今で、私がペインコントロールにおいて一番違うのは、患者さんの訴えをトータルペインとして受け止めることが少しできるようになったかもしれないということです。そしてペインゼロにするために、医療の科学的な力をまるで権力の行使のように強引に使うより、「これで大丈夫、まあまあです」と答える患者さんの声を聞けるようになってきた、ということ。ペインを全くのゼロにしなくてもいい時があると感じるようになったのです。患者さんの気持ちに寄り添えると、強い痛み止めである医療用麻薬(モルヒネ)などの投与量と期間がとても減ることを実感しています。痛みの緩和には、患者さんと家族の不安を減らすということも大きく関係します。不安だと痛みを感じやすくなるのです。「24時間いつでもあなたと繋がっています」そのバックアップが痛みを減らすひとつの要素なのです。
Oさんは紹介してくれた医師の予想を越えて延命し、家で平和に過ごしました。ある日、役所から額入りの表彰状が届きました。
「あなたは健康で過ごし、医療費を使わず保健医療体制に寄与して下さいましたので表彰します」
つまり、病気にならず、医療費を使わないでくれてありがとう、という感謝状がターミナル期の人のところに届いたのです。その額は立派なものでした。皮肉ではありましたけれど、「いっそのこと、写真を撮りましょうか?」という私の掛け声に、皆で感謝状を囲んで写真を撮り、大きな声で笑いました。こんな皮肉を笑い飛ばせる力が在宅ケアにはあるのです。
Oさんは自分のいのちの流れを悟っていたかのように、亡くなる日の朝、知り合いの床屋さんが来てくれるように自分で予約してあり、きれいになった姿でその夕方静かに息を引き取ったのでした。
「私の仕事はいのちの番人」 何となくわかって頂けたでしょうか?
患者さんの家族(遺族)とのご縁が続くことも私の力の源です。
こんな便りを最近頂きました。一部を載せます。
『こんにちは、
先日は本、資料など送ってくださりありがとうございました。
早いもので母が亡くなってもう一年になります。弟たちと一周忌をいたします。先生のおかげでこの一年間、私も弟たちも思い出すのは母の笑顔ばかりでした。子供たちが亡くなった人たちの心を感じながらがんばっていてくれるのがとても嬉しいです。
ありがとう、と言ってきちんとお別れができることが大切なんですね。
先生がくださった写真を見ながらいつも思っています。
忙しいですが、元気に過ごしています。
先生もなるべく睡眠不足にならないようお気をつけて
それではまた』
繋がっていく実感。それが、死の恐怖を乗り越えさせてくれる大きな力だと思います。
今回の書簡はひとまずこれで終了させて頂きます。
今回のお返事で、まとめやら感想やら頂ければ嬉しいです。
次回のテーマは“日本の過疎問題”?日本全国、津々浦々。都会も田舎も離島も過疎問題です。お年寄りが残っています。在宅ホスピスケアでは必ず存在した家族の(ケアする身内)の姿が少なくなっています。お年寄りの不安が大きくなっています。
最後に詩を贈ります。
あい 谷川俊太郎
あい 口で言うのはかんたんだ
愛 文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きていてほしいと願うこと
あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ちだけでもない
あい はるかな過去を忘れないこと
愛 見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること
では、長い間ありがとうございました。
また意見交換する日まで、さようなら!
追伸
6月18日に国会で臓器移植法改正A案に。
つまり97年に成立した法案の本人が生前に書面で提供の意思を示し、脳死判断された場合のみ脳死を人のしとする、「条件付で脳死は人の死」を改正し、「脳死はすべて人の死」に。
この世からむこう岸への移行、
いのちの最後を見守る立場としては、
移植を待ち望んでいる方々のお気持ちは十分尊重するが、
もっと国民的議論をつくしてほしかったと思う。
一番気になるのは多くの人たちの無関心
マザーテレサがおっしゃっていた。愛の反対語は無関心。
いのちへの無関心の社会は愛のない社会ではないだろうか。