幸せな「死に場所」の創出を
DVOCATOR INTERVIEW 2004年1月号より
終末期の患者に対し、治癒よりむしろ痛みの緩和に重点を置いた治療を行う「緩和ケア」や、それを病院ではなく自宅で行う「在宅ホスピス」が世界的に注目を集めている。しかし、「大病院信仰」が根強い日本では、緩和ケアヘの無理解ゆえに、効果が見込めない患者にも積極的治療を続ける病院への入院を望む患者やその家族が少なくない。在宅ホスピスの第一人者であるふじ内科クリニック院長の内藤いづみ氏に、終末期医療の現状と課題、目指すべき方向について聞いた。
痛みの緩和を目的とした終末期医療
全国の大病院で、ホスピスケア病棟や緩和ケア病棟を設置するところが増えている。一般を対象に行ったアンケートによれば、「ホスピスケア」という言葉はある程度理解されている。しかし一方で、「緩和ケア」はまだあまり知られていないようだ。ほぼ同義で語られることの多い両者について、まず簡単に説明しておきたい。
貧困者や病気の旅人を収容するキリスト教の施設として、ホスピスと呼ばれる施設は昔からあった。現在のような終末期患者を特定の対象としたホスピスは、1960年代のイギリスで誕生する。シシリー・ソンダースという女医が中心となり、主にモルヒネの経口投与によってがん患者の痛みを緩和する施設としてのホスピスが確立されたのである。
ここで行われたモルヒネ水による疼痛緩和法が、WHOやイギリスに関係の深い国々を通じて世界に浸透し、終末期患者の卜-タルペインー身体的・精神的・社会的・霊的(スピリチュアル)な痛み一一を緩和するというホスピスケアの基本理念が形成された。この理念が、さまざまなエビデンス(学問的・臨床的証拠)の積み重ねを経て、80年代に入り本格的に医療の中へ取り込まれ生まれたのが緩和ケアである。つまり、キリスト教的な背景を持ち場所を選ばない広範なケアがホスピスケアであり、その理念から発達した医療の新分野である緩和ケアでは、病院内での症状のコントロールに重きが置かれていると言える。
緩和ケアは、対象を終末期に限定せず、患者の年齢や病気の種類を問わない。積極的な治療が不可能となった患者が直面する種々の問題に、家族や医療スタッフとともに患者自身が立ち向かう医療分野である。内科、外科、産婦人科、小児科など、病院内のすべての科をまたいで存在するため、多様化する医療ニーズヘの対応という観点から期待感も大きい。しかしそれゆえに、各科とコミュニケートする力量のある医師が担当し、またその医師をバックアップする態勢がないと、生きた緩和ケアは実現しない。
緩和ケアをさらに発展させ日本に根づかせるには、医療者に対する教育システムヘのてこ入れが急務だろう。現在日本の医学系大学には、緩和ケアの正しい知識を教える学科がほとんどない。学生たちは患者の疼痛緩和法を総合的に講義されていないのだ。インターンとしての配属先で上司が不十分な知識しか持っていない場合、正しいケアを行えない医師になってしまう可能性が高い。ベテランに限って緩和ケアを正しく理解していない
医師の多いのが実情であり、学生のうちに教育する体制づくりが急がれるべきなのである。
「笑顔の最期」を実現する在宅ホスピス
私たちのクリニックでは、外来の緩和ケアとともに在宅ホスピスにも取り組んでいる。家でのホスピスケア、つまり往診や訪問看護である。外来に通う体力はなくなったが、病院でなくできれば自宅で最期を迎えたいという患者のための診療だ。多くの人数は引き受けられないが、最善を尽くしている。
トータルペインを緩和するには患者の自己決定を重視する必要があり、それには告知が前提となる。疼痛緩和法を施されたうえで自らの余命を知って初めて、患者は残された日々をいかに「自分らしく」過ごすか考える余裕が生じ、身体以外の痛みを緩和することができる。そして、本音として自宅での最期を望む患者は実に多い。私たちの携わってきた在宅ホスピスは平均日数80日弱、つまり、2ヵ月半かけて終末期の患者を看取るお手伝いをしている。
私と在宅ホスピスとの出会いは、20年ほど前にさかのぼる。東京女子医科大学に勤務していたときに出会った、末期がんに冒された23歳の女性が、自宅での治療を望んだのである。モルヒネによって身体的な痛みは取り除かれていたが、愛する家族と離れて孤独に死と向き合わなければならないことが苦痛だったのだろう。家族は、最先端の治療を施してほしいと大病院に入院させたのだが、私は、積極的治療の効果が見込めない終末期患者の場合には、本人の望み通りにして精神的苦痛を緩和することも必要だと考えた。結局、娘が余命3ヵ月であることを冷静に判断した母親が、「娘にとって一番よいと思われることをしよう」と在宅での緩和ケアを決断する。私は専用のポケットベルを携帯して緊急時に備えつつ、病院勤務と並行して彼女への往診を行った。その後再び入院することなく、彼女は自宅で息を引き取った。
こうして、「人間はどのように最期を迎えるべきか」という大きなテーマにぶつかった私は、ホスピスの本場であるイギリス出身の男性との結婚を機に、スコットランドのグラスゴーヘ行った。そこで、無給の非常勤研修医という立場ながら、ホスピスの立ち上げに参加させてもらった。ここで特に学んだのは、ホスピスの凰白lであるホスピタリティーとは何かということ。スコットランド人特有の温かく迎え入れてもてなす姿勢―これこそがホスピタリティーであった。痛みのコントロールなどの医療技術はもちろんだが、自分の最期と向き合う患者を尊重する姿勢が重要なのだ。理念と医療技術、医療者と患者のお互いに対する信頼関係さえあれば、ホスピスに建物はいらない。大病院の施設は必ずしも必要ないのである。この考えが、現在私か在宅ホスピス医としてあることの核となっている。
在宅ホスピスのメリットは、患者も家族も日常生活の中にいることだ。
ある患者の奥様が「在宅ホスピスで、毎日こんなに笑えるとは思わなかった」と言った。要するに、患者が家にいることが日常になってしまえば、やらなければならないことがたくさんあり、24時間泣いているひまなどないのである。もちろん、最初から笑えるわけではない。看護疲れから「入院してくれたら」「自分のほうが倒れてしまう」といった考えが頭をよぎるなどの山場を越えて初めて、日常に笑いが戻り、最終的に患者の死を受け止めて送り出せるようになる。そこまで真正面から対峙していない家族に限って、看護が不十分だったのではないかと後悔が残るのである。患者本人にとっても、なれ親しんだ家で日常的な時間の中に身を置くことは安心につながる。
自分の「死に場所」を選べる社会に
死を迎える環境によっても、患者の安心感は左右される。京都大学のカール・ベッカー教授の調査によると、どのような環境で死を迎えたいかという問いに対し、ほとんどの日本人が自然を見ながら最期の日々を過ごしたいと答えたという。超越的な自然という存在に手を合わせ、自分がこの世へ生まれたことに感謝する民族は、日本人だけでなく世界中にいる。人類の根元的な部分とつながっていることで、不安はずいぶんと解消されるのではないか。実際に、おだやかな死を迎えた私の患者は皆、自然に囲まれた生活の中にいた。自然を取り込んだすばらしいホスピス病棟もあるが、基本的に病院の部屋は自然が足りないように感じる。
私は、遠くない将来、自然の中にコテージが集まった小さな「村」をつくりたいと考えている。そこには、診療所、ホスピス、高齢者や身障者のグループホームなどがあり、家族や友人同士で住む人たちもいる。私をはじめ医師や看護師などの専門家集団もいるので安心だ。こうした形態はホスピスとして認可されないだろうが、法律や制度が整うのを待っていたら遅れてしまう。社会にとって必要なものであれば道が開けると信じ、同様の考えを持つ人たちとともに、終末期患者やその家族の選択肢を増やす取り組みを進めていきたい。