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村の暮らしに触れる

2015年10月9日読売新聞「伏流水」より
「住み慣れた家で最期まで暮らす」というスローガンが日本中でみられるけれど、よくみれば住み慣れた土地の施設での最期が増えた気もする。

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人生の最終章を送る人たちの声は、なるべく元気な時、その人の居たい場所でごはんを一緒に食べながら聴いてほしい。おじゃまをしないと患者さんの暮らしの歴史は分からない。そんなことを考えさせられる経験をした。

 秋晴れの一日。峡南地方の山奥の村にお住まいの患者さんを訪ねることにした。つづら折りの道路とは言え、案外あっという間に安全に到着した。

 山梨には至る所に立派な道が通っている。その立派な道の際に、甘柿の木をよく見かけた。ふと気がついた。甘柿のある庭と家がまずあって、その後に家が取り壊され、道が通された。そして柿だけが後に残されたのではないかと。
つまり、道の方が新参者なのだ。甘柿はそこに人が暮らしていた証なのかもしれない。その村にも空き家と、そして実のついた柿の木があちこちにたくさんあった。

 この患者さんが外来にいらっしゃった時は、おいしい野菜をたくさん持ってきて下さった。私はご夫婦の畑を見せてもらうことにした。

 歩いて行く途中、村の墓地を通った。明るくてきれいな墓地だった。その方の家のお墓もあった。みんな笑顔で記念写真を撮った。墓碑にその方の短歌が刻まれていた。

 「父祖の土地 守り伝えて今の世に~」

 墓地の隣には立派な桜の木がたくさんある。「春にはそれはきれいで極楽のようです」。その方の心に桜の光景が浮かんだようだった。

 私たちは奥さんの心づくしの栗ごはんや煮物をごちそうになった。何だか村の秋祭りに招かれたような気持ちになった。