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在宅医療に求められている心とは

最新医療情報誌「アニムス」2009年冬号の特集・在宅医療より抜粋。



 在宅ホスピス医と日本の患者さんの意識
 在宅ホスピス医という言葉はあまり聞かないと思う。日本でこの仕事をしている医師は多くはなく、この言葉は日本でつくられた造語である。在宅で診る病気はたくさんあり、介護保険も入ってきて、在宅医療を行う医師は多くはなったが、ホスピスケアの中身を在宅でも提供できる知識力、実践力、チーム力がある医師は全国でもまだそれほど多くはない。
 いわゆる緩和ケアは、がん専門の大病院などが緩和ケア病棟を開設して行うのが普通であるが、それを在宅で行おうというのである。緩和ケアという概念はホスピスより後に生まれてきたものであり、ホスピスには「家で亡くなることができる」ということも入っている。そういう啓蒙活動を私も含め少数派の医師が進めてきた。がんのケアの中に医療の一部として緩和ケアという形で入ってきて誕生した。今、日本で150か所ほどの緩和ケア病棟がある。もともと緩和ケアは子どもを見守るような気持ちが底にある医療の形態であるが、そういうものがよくこれだけ日本でも拡がったものだと実感している。
 本来ホスピスケアというのは医療の一部であるのと同時に社会文化の一部でもあると思う。医療の一部としての緩和ケアはまだ物足りないかもしれないが、患者さんにとっては選択肢が広がった。
 緩和ケア自体は最先端医療ではないが、非常に重要な「いのちへの基本的な関わり」と思っている。それを家で行うのが在宅ホスピスケアである。
私はそれを実践している本場のイギリスを見てきて、当時はそれほど大変なことだとは思わなかったが日本の社会はこうした医療形態に追いついていないことに気付いた。患者さんと家族がホスピスケアを必要とする意識が育つためには20年、30年という年月が必要であり、患者さんが「医療は与えられるもの」という認識である限り、自宅で命を看取るということはなかなかできないのではないか。患者さんに命の主人公としての自覚、覚悟、勇気、そして、その患者さんを支える私たちのような医療者が献身的に関わって、それで初めて可能になるのである。単に「家で死にたい」といっても、それだけではできないし、私たちが「協力しうる」といっても、それだけでもできない。やはり在宅ホスピスケアは患者や家族と医療者が車の両輪として進まなければならない。
 社会全体が病院ではなく、自宅がいい、自宅で死ぬこともできるという雰囲気にならなければ在宅ケアはなかなか普及しない。がんであれ、老衰であれ、人間には寿命がある。しかし、今の現代医療の中では、すべて病気としての概念で扱っている。特に私がかかわる患者さんにはがんが多いが、「最先端の治療をしてほしい」「どんな新しい薬でもいいから使いたい」というニーズが強い。
そういう方々が気持ちを積極的治療から「家で静かに余生を過ごす」方に切り替えていく。病気という意識から解放され、自分の運命として生きていくという意識に切り替えなければならないのであり、日本人にははなはだ難しいところである。
日本人はもともと病院が好きであるし、医療も他の先進国に比べても自慢でき、国民皆保険もある。
 そのあたりが、私が一般の方々に向けて声をかける1つの理由でもある。「みんなが命の主人公で、自分の命を運転するのはあなた」ということを伝えるのに20年経ったが、それでもまだ十分ではない。この分野は患者を見捨てるという医療分野でもないし、敗北の医療分野でもない。しかし、そういうイメージが医療者にも、患者さんにも、家族にも根強くある。「抗がん剤が打てないのであればもうお手上げだ」という。ホスピスケアは変わり者の医者がやっていて、死を受容した類い希な患者さんが行くというイメージをくつがえすために、「抗がん剤が打てなくても、あなたの命はなくなる日まで希望とともにある」というように意識が変わって欲しい。
 治らない段階の患者を診るということ
 海外でホスピスケアが進んでいるのは宗教観の背景もあるが、特にイギリスで発達したのは、イギリスの医療が日本ほど最先端思考ではなかったこともひとつの要素だろう。イギリス国民はある意味、医療を「あまりアテにしても仕方がない」と思っているのか、社会保障で診てくれる医療の基本線以上の細かいことは日本のほうがはるかに進んでいる。日本では医療を選択する権利もあるが、イギリスでは医療の選択の自由がきかない。イギリス国民は「あきらめ」や「頼りにしても仕方がない」というような感じを受ける。
 イギリスの医療は、国家的な枠組みとして在宅が機能しており、その中心にホームドクターがいて、プライマリーケアを仕切っている。ホスピスというのは別の独立した仕組みでできていて、国民には自分が命の主人公であるという逞しさが感じられる。一方、日本の医療はアクセスフリーであり、そういう医療体制の中で「積極的治療の可能性が少ないから、ホスピスケアヘギアチェンジしよう」といっても、それは非常に難しいことだと思う。しかしながら、最初からあきらめるのも変な話で、がんの泊療は可能性があるのならその可能性にかけてみるべきであるし、専門施設で治療を受けて治る場合もある。なかには極端になってしまう患者さんがいて、いきなり「がんといわれたからホスピスにきた」とか「家で看取ってくれ」という。しかし、それはまだ早い。そのあたりは患者さんも勉強してほしい。
 私が医者になりたての25年前に、ちょうど大阪と浜松にホスピスができた。それらは両方ともキリスト教を基盤とした病院だった。そのため私はキリスト教を基礎とした文化の取り組みなのかというイメージを持っていた。また、モルヒネをプロンプトンカクテルとして軽口で摂取すればがんの痛みを緩和できるという知識も、私が研修医の頃から拡がり始めた。
 しかし、当時ご私はホスピスで働く医者は特殊な人だと思っていた。「死にいく人をどう救えばいいのだろう」とも患っていた。私が研修医として働いていたときには、亡くなる方もいたけれど、治る方もいて、そのバランスはとれていた。しかし、ホスピスにいくと全員が明日をもわからない重病人で「一体どういう気持ちの方が働いているのだろう」と思った。その私が変化したのは、おそらくイギリスに行って実際の市民運動としてのホスピスや、医療に頼り過ぎない自立した国民性を見、また社会福祉の面では、「在宅ケア」においては看護師をスペシャリストナースとして養成し、チームでかかわっていることを知り、医者だけで乗り越えることではないということを目の当たりにしたからである。患者さん方にも「ありがとう、さようなら」といえる余裕がある。それらを見て私は変わった。死にゆく方々のお役にたてる道をみつけたと思えた。
私自身クリスチャンでもないし、特殊な宗教を持ってはいない。これまでの医療は、治らない段階の患者のいのちによりそう分野はあまりなかった。宗教とは関係のない人がホスピスケアを実践することも大切だと思う。
 在宅ケアの値段と医師・看護師の献身
 日本の場合、在宅医療は、医療費抑制がらみとして進められているが、在宅で診療し看取った場合の医療費は安いと思っている。以前かかわった例では、ほとんど毎日看護師が訪問看護に行き、私は24時間オンコールでその患者さんとは常につながっていて、どこに行っても精神的自由はない。
それがどれぐらいのストレスかということは患者さんと家族にはわからない。24時間の責任を引き受け、週に何日かは往診もし、痛みがないように薬の調整をして、患者さんが安らかに過ごせるようにした。その患者さんは肺がんだったが、発見がおそく、手術はできず、脳梗塞による麻痺もあった。その患者さんの医療費は、基金から私の診療所に入る収入が月に20万円少しであった。1割負担の老人であれば1か月の支払いは上限1万2千円である。
 今では以前ほど濃厚治療をしなくなったが、終末期医療には100万円ぐらいは必要だという。それに比べると、この例では基金の負担は20万円である。これでは厚生労働省も飛びつくはずである。
数字に表わせるものやモノを与えるのではなく、「精神的支えや安心感のために奉仕する」という部分は、医療費の請求の中には入ってこない。家族は24時間誰かがそばにおり、さらに友人や親戚がそれを支えている。そういう多くの人の献身もまったく医療費には表れてこない。そこを理解しない限り「在宅ケア」は拡がらないだろう。
 私は『産経新聞』に週に1回「連載エッセー」を書いている。皆さんに色々といのちについて考えていただこうと思っている。在宅で末期の患者さんには、ほとんど毎日看護師と私が身体的にも精神的にも張り付いている。そういう話をすると、在宅を進めようという医師が増えないので、「やりがいがある」といっている。しかし、実際にやってみると驚くほど体力・気力が必要であり、その辺をきちんと国は理解しなければいけない。役人の机上の計算だけでは在宅ケアは拡がらない。
 確かに在宅ケアの流れというのは濃厚になってきており、それをマニュアル化してたくさんの患者さんを在宅で引き受ける取り組みも、何か所かある。しかし、そうなってしまうと大病院の外来の3分診療がそのまま在宅ケアに移されたような印象もうける。命を一つひとつ向こうへ送るというのは重い仕事で、特に在宅ケアの場合はこちらがひとりの人間として、患者さんの住んでいる城に行く。患者さんが病院にいるときは向こうがPatientと呼ばれて我慢しているけれども、在宅ケアの場合は私たちがご家庭に入っていくわけで、こちらも視野の転換が求められる。
 命の友としての伴走者を探す
 私のクリニックの看護師は3人である。在宅ケアの場合は私が育ててきた信頼できる地域の訪問看護ステーションと連携を取って行う。そのステーションには常時10人ぐらいの看護師がいる。
自分のところの看護師だけでやった時期もあるが、負担が大きく2年ぐらいで燃え尽きる人もでた。毎日が緊張の連続なのである。大勢の看護師で毎日24時間オンコールの携帯を回していかないと、1人でそれを365日行うというのは相当に厳しい。
 私は原則365日が診療である。月に1回ぐらいどうしても出張で県外に出たりするときのために、私の予定は全部ガラス張りにしてあり、患者さんも、その家族も、看護師さんにも全部伝えてある。
私は月に1回、使命として在宅ホスピスケアの広報活動にいく。そのときは看護師が患者さんを守り、万一のときには連携病院で診てもらうという形にしてある。
 在宅医療をしてくれる信用できるホームドクターが見つかった人は、その縁を離さないようにしてほしい。その医師が直接往診をしてくれなくても、その医師の人脈で別の医師を探してくれるかもしれない。いいケアマネージャーが見つかった場合も、その縁を離さないようにしてほしい。
そういう人は命の友として伴走してくれる可能性があるからだ。今、命の友としての伴走者を探すということが必要で、それは身内ではない場合も多々ある。人生の最後の友を見つけ、その手を離さないようにすることが重要である。
 看護師と医師とのキャッチボール
 がんとがん以外の病気や老衰などのケアとホスピスケアは、全体的なことは変わらない。しかし、がん患者さんの場合、病状が早く進むので集中する度合いが違ってくる。とくに進行期という病状が変化するときである。元気なときは患者さんが自分でクリニックヘくることができる。しかし「歩けない」といったときにはあっという間の速さで病状が変化するため、それに対応する私たちの密度が違ってくる。集中して小康状態に持っていき、また具合が悪くなり、再び小康状態へということを繰り返して亡くなる。それは平均1か月ぐらい。老衰の場合は1年とか2年というように階段が緩やかだが、がん患者の場合は病気の進行に追いつける実力のある看護師と医師が必要である。1日でも患者さんを苦しませてしまえば、もう在宅ではいられなくなる。
 私たちが関わった場合、在宅でがんばろうといっていて途中から病院に入るケースは少ない。
しかし、一般的には安定期は在宅で、困難になったら病院に行くとか、看護師がいなくて病院へ行くということは結構多いようである。私たちが関わっている患者さんの場合、必ず連携病院との連絡を絶やさないようにしている。がんという病気は何が起こるかわからないので、緊急事態に直ぐに引き受けてくれるようにしておくためである。
ただ、私たちは24時間オンコールでやっているが、「24時間ウエルカム」という病院は非常に少ない。
病院には病院の都合もある。そのために私たちはなるべく早めに行動できるようにし、緊急時をなるべくつくらないように努力している。それに必要なのは私たちの観察力である。よく観察して、素早く動くというのは患者さん自身のため、家族のためなのである。ただ、患者さんと家族というのは、小康状態になると、結構安心してしまう。
危機感がなくなり、決して治ってはいないのだが、病気が治ったように一瞬思ってしまう。私たちはそういう状況の中でも常に暖かさをもって説明する冷静さを持たなければならない。
 命に責任を持つという仕事
 私のところにくるがんの患者さんのほとんど全員に転移がある。転移した状況をどういうふうに持ち上げて日常生活がある程度おだやかに送れるようにするかということが私たちにとっての課題なので「元の病気の細胞の形がどうだ」というようなことは余り関係なくなってしまう。患者さんの全体的なコンディションをどうするか、だけが問題である。
 私に「在宅ホスピスケアをお願いします」といってくるのは圧倒的に本人か家族である。他の病院の医師の紹介というのは1割ぐらいしかない。
患者さん本人が選択してきているから、私たちも何とか支えられる。他の病院の医師からの紹介状を持ってくる場合は、うまくいかないこともある。
「本当は病院から離れたくない、なんとか直してくれ、家族も決心していない」そういうケースではうまくいかない場合が多い。しかし、患者さんが多くて断らざるをえない場合もあるし、「待っていてください」という場合もある。
 若い医師が近くに開業したりすると「お互い協力して患者さんを共有できますか」と声をかけるのだが、そうした医師は「私にはできない、先生には追いついていけない、もっと勉強して戻ってきます」といって逃げてしまう。きっと私の患者さんは重症な人たちばかりで引き受けてしまえば24時間待機になってしまい自由がなくなると知っているからだろう。
 私が看取る患者さんは月に1~3人というペースである。なかには病院を希望して「ホスピス病棟にいきたい」という場合もある。そのときは、本人が元気で歩けるときにホスピスを見学してもらう。平成17年に地元の山梨県立中央病院に緩和ケア病棟ができたので、そこにいってもらうこともある。ただ「24時間いつでもいい」といって連携してくれる病院はすくない。患者サービスという点では昔よりいいかもしれないが、細やかに動ける相手同士でなければ、患者さんが緊急の場合はなかなか上手く連携がいかない。
 特に今の医師志望の若者が心配だ。ある大学に講演にいったときに、アンケートで「人の最期を見るのはいやだ。命に関わりたくない。なるべく離れようと思っている」といわれた。これから医師になる人や、これから看護師になる人たちは身近な「命」に触れることなく、受験だけでいきなり医療という分野に入ってくる。中には適性に合わない人もいるだろう。それは患者さんにとっても医療を行う本人にとっても不幸である。だから看護科の学生などには「どうしても合わないと思ったら、考え直して」と言うことにしている。
「今からなら軌道修正ができるから、自分の適性に合わないと思ったら早めに違う道を選ぶのも1つの手」と言う。人の人生に向かい合うのは大きな覚悟のいる仕事である。命に責任を持つという仕事の重さは体験しないとわからない。
 笑いに包まれて看取れる世界
 在宅医療は教育を受けるのではなく、実践で自分で学ぶものである。私はイギリスのホスピスでときどき在宅患者のところに行ったこともあるが、在宅医療に向かない医師もいると思う。医師はある程度の権威もあるし、尊い仕事もしている。医師を見ただけで病気が治るというような権威も大事なのであるが、その権威を捨て、ニュートラルにすることが苦手な医師は、在宅ケアに行ったときに患者さんや家族にプレッシャーを与えてしまう。
 私は白衣を着ない。市中を白衣を着て歩いていたらおかしいと思う。権威の力を見せつけてしまう医者は患者の力を引き出せない。私もクリニックの外来のときは白衣を着ているが、白衣というのはもともと予防着といって、血が飛び散ったり、感染を予防するためのもので、これを着て外を歩いたら不衛生である。もちろん在宅ケアで血が飛び散るような処置をするときは持っていって着る。
そうではない場合は普段着である。
 また、在宅ケアの現場に馴染める医師というのは多くはない。例えば、患者さんの回りに家族や親族が集まったりしたとき、その医師の存在が浮くか浮かないかというのが大事である。先生と言われて奉られ「患者さんの一番そばにいってください」といわれてしまうような医師では駄目である。とくに看取りのときはそれまで一生懸命医療チームが支えて、家族が看取ることができるように育ててきたのだから、そこに医師が特別重要な位置をしめなくてもだいじょうぶだ。現状では医師がいなければいけないと家族も思い込んでいるし、自分たちだけの看取りに不安もある。ところが、私たちが応援して支えていくと最期を看取るというのは家族でも十分にできる。「しっかり息をみて、止まるところを確認できる」というところまでもっていくことも不可能ではない。私たちはお守りみたいに隅にいればいい。医師が主導していたら、それは病院の臨終を切り取ってきたのと同じである。在宅で看取る意味がない。そういうことに慣れてしまって、切り替えられない医師も多い。しかし、それぞれの医師にそれぞれの感性があるので、一言では言い難い。もちろん患者さんの家族はいつまでも不安であるし、わからない部分も多い。しかし、本来看取る力というのは誰もが持っている。分かち合う力も、本人が死んでいく力も、皆が看取る力もある。ただ、科学としての医療によって病気を治すということに近年は集中していたために曇っているけれど、本来は大丈夫だということが伝われば、皆が笑いにつつまれながら看取れる世界にもなりうる。
 2年ほど前にテレビのドキュメンタリーをつくるという機会に恵まれた。縁があって協力してくれる家族と、それを撮る若い女性ディレクターがいて、私も1~2年付き合う気持ちで始めた。1年間付き合ったとき、番組が1つできあがった。そこでは91歳のおばあちゃんが亡くなっていく場面があった。家族が泣いたり、さすったりしながら「おばあちゃんありがとう」と言葉をかけた。おばあちゃんはすやすや眠り、時には笑いに包まれて、1日眠った上で亡くなった。膵臓がんの末期だったが、それまでは元気で痛みもなく過ごし、トイレには歩いていっていたし、昏睡の直前には鮎を2匹も食べた。そういう大往生だった。
 そのドキュメンタリーを、お産を考える人たちの講演会で見せた。「いのちの最初と最期」という講演会の場であった。それを見た妊婦の1人が感想として「看取る場面は私が自宅出産した時と似ていた」、「皆に身体をなでられ、声をかけられ、励まされた。先生、誕生と最期って同じですね」と言っていた。本当にコインの表裏のように同じなのである。だから、皆にその力があるということを伝えるために、このドキュメンタリーを講演会で見せることが多い。