いのちは不思議だけれど、死は特別なものではない
やくしん2014年11月号より
いのちの不思議とはどのようなことですか。
それは死の間際に患者さんが見せてくれるスピリチュアリティな光景です。
その日、長く訪問診療をしてきたある男性患者さんから、透明な光が発しているのを感じたのです。
訪問看護師も「澄み切っていて何かが違がう」と言う。その日の夜中、患者さんは旅立って逝かれました。まるで逝く日を分かっていたかのようにです。医療現場でのこうした出来事は、科学的な部分のみ重要視される現代の医学界ではかき消されてしまっているのです。
機械化されデータがすべての医療は、大切なものを見失っているように思います。それは患者さんが人間であり、どうしたら苦痛から解放され、患者さんが自分らしくいきられるかを一緒に考え、支えていくという思い。私がしている治療は、時間も手間もかかるし、忍耐力も必要です。だからこそ患者さんの心にふれられるし、いのちの不思議を見せてもらえるのだと感じています。
本書は、死は特別なものではないと感じさせてくれます。
「死」は決して特別なものではなく、生活の中にあるべき自然の現象。それが分かるのは、患者さんが自分らしくいられる自宅で最期の時間を過ごされたときだと感じます。
本書に収録した話です。危篤状態になったおじいさんが苦しそうにするたびに、見守る刃族がハラハラしていた。私が「まだ大丈夫よ」と言うと、若い人たちはホッとして隣室でケーキをつまみ始め、やがて笑い声が聞こえてきた。その声に包まれて、おばあさんは優しい表情でおじいさんに寄り添っていた。生活の中にいると、死は自然と家に溶け込み、患者さんも家族も、静かに最期を受けとめていけるのだと感じます。
こんなこともありました。おじいさんを家族で看取った後、大人たちは悲しんでばかりいられないと、隣室で葬儀の相談をし始めたら、小学二年の少女が「皆ひどい、おじいちゃんを一人にするなんて」と怒りだしたのです。大人の変りようが受け入れ難かったのでしょう。昨日までの生が今日は冷たい死になっている。祖父の死を通していつか彼女も、「死は生の一部」であることを分かるときがくるのでしょう。