往復書簡(米沢慧様)はじめに
「エリザベス・キュブラー・ロスからのメッセージ」 内藤いづみ
はじめに
私は「在宅ホスピス医」と紹介されることが多い。
在宅でのホスピスケアを始めたのが約20年前。
振り返ってみると、この時期が自分の子育ての時期とぴったり重なっている。
時として、妻であり3児の母、と説明が付くこともある。
男性だったら、わざわざ夫であり3児の父、とはあまり言われないのに・・・と感じる時もあるが、特に目くじらを立てる気持ちにはならない。
それは父母のお陰だと思う。
幼い私の中に、男女差別の芽は蒔かれなかったからだ。
「平和な男女平等(男女共同参画社会)の世の中を創ろう」
というスローガンで結びついたふたりだったらしいが、母の夫への献身ぶりは立派なものだったし、フルタイムの仕事をしながらの子育ては体当たりの熱血型で、子供としても精一杯その愛情に応えるしかなかった。
父は、戦後山梨県で一番若い教育長などを歴任したりした人物で、私の小学校でも式典にあいさつによく来た。
そのスピーチが短く、分かりやすく、子供心に誇らしく、「大人になったらああいうあいさつをしたいものだ。」と思ったものだ。
その父は50歳で急逝した。
今、私が家でいのちの最期を看取る仕事をしたり、忙しい中でも時間をやりくりして全国で講演活動をしている出発点は、こんな私の歴史の中に隠されているかもしれない。
私が、往診して重症になった患者さんに向かい合うのは、病気になった臓器や検査結果の数字ではなく、その方の人生だ。
そこには家族や友人や親戚や、多くのパーソナルの歴史が重なってみえる。その方の身体の痛みを緩和できたら、その個人の歴史や人脈の中で、残された人生の課題(ライフレッスン)を果たすのを手伝うこと。それが私たちの仕事の大きな柱でもあると分かってきた。
評論家 米沢 慧さんとは10年前に知り合い、地方新聞上でファックス書簡として意見を交換した。
それは『いのちに寄りそって』(オフィス エム刊)という本にまとまったが、内容は全く今も古びていなくて我ながら驚くほどだ。
書簡の文面でも分かるようにふたり共ピリピリと緊張し、真剣に討論した。
いのちの現場で苦しみ悩みながら働く者としては、人の仕事の批評を生業とする人には正直言って好感は持ちづらかった。
米沢さんはしかしながら、私の持つ批評家のイメージとは少々違っていることが段々と分かってきた。それは、温厚で礼節のある米沢さんの性格とともに、米沢さんが岡村昭彦という知の巨人と出会い、自分の運命をも変えられていったことと無関係ではないだろう。
お互いに多くの出会いと学びを経て久し振りに再会し、また一度、今回はホームページ上ではあるが、往復書簡をしてみようという気持ちになった。
医科学が発達し、いのちに対する多くの情報や回答を得たはずの現代に、多くの人は人との繋がりを失い、乾きにも似た最限のない欲求不満を抱えて苦悩しているように感じる。患者の権利は強まったけれど、幸せな患者は増えたのだろうか?何より、いのちの一部でもある“死”について、豊に考える土俵はやせ細ってきていて心配だ。
「死ぬ瞬間」Death and Dyingを世に送り出し、30年前一世を風靡したエリザベス・キュブラー・ロスの本当の仕事の意味は、今こそ求められているように思う。彼女との出会いも運命のひとつだ。
今回の書簡では、おそらく米沢さんも個人的な自分の歴史(それこそが学びの一部だから)に触れて下さり、互いの仕事の意味を振り返りながらやりとりすることになりそうだ。
じっくりと深く考えていきたい。
米沢さん、よろしくお願いします。
米沢慧(よねざわけい)
1942年島根県生まれ。評論家。早稲田大学教育学部卒業。
都市論、建築論、家族論から介護論まで。
近年は長寿社会のケアを考える「ファミリィ・トライアングルの会」を主宰。
活動の一環として東京・千葉・神奈川・埼玉・長野などで生命・看護・医療を考えるセミナーにも取り組んでいる。大東文化大学非常勤講師。
著書に『都市の貌』『〈住む〉という思想』『事件としての住居』『「幸せに死ぬ」ということ』『ホスピスという力』『往きのいのちと還りのいのち』『「還りのいのち」を支える』『病院化社会をいきる』など。
共著に『医療倫理学』、内藤いづみさんとの往復書簡『いのちに寄りそって』、山崎章郎さんとの対話『ホスピス宣言』『新ホスピス宣言』などがある。