尊厳死問題(2006年4月23日新聞記事より)
人工呼吸器取り外し問題に関連し、山梨日日新聞の取材にコメントいたしました。
甲府・ふじ内科クリニック院長 内藤いづみさんに聞く
冨山県の射水市民病院で患者七人が人工呼吸器を外されて死亡した問題を受け、延命措置の中止や尊厳死について注目が集まっている。延命措置のルール作りを求める声が高まる中、終末期医療に携わる甲府市の内藤いづみ医師は「法制化は急ぐべきでない」と慎重な姿勢をみせる。内藤医師に終末期医療の現状と法制化に対する考えを聞いた。
法制化議論慎重に-今回の問題は例外的なことか。
表に出ていないだけで、医師や看護師ら多くの医療者が同じような場面に直面して悩んでいる。症状によっては「こんな状況で生きているのはつらいのではないか」と思う状況が医療現場にはあり、家族から「苦しむ姿を見ていられない」と訴えられる場面もある。治療効果がなく、回復の見込みがないと判明しても呼吸器を外すというのは医者の判断だけでは法的には許されないし、判断を下した医療者を守ることができないのが現状だ。
-尊厳死についてどう考えるか。
症状によっては、本人にとっても家族にとっても死を選びたくなる状況もあるので、尊厳死は完全には否定できないが、私たちが行う医療の基本は「命の最後まで」を支えること。痛みや苦しみを取り除くケアを行って命の本来のあり方に手を添え、その人が望む形での生と死を支える医療を行えば、短絡的に呼吸器を外すことは起こりづらいのではないか。
「生があってこその尊厳死」。尊厳ある生の延長に尊厳ある死があってはしいと願っている。
-法制化を求める声が高まっているが。
今は赤ちゃんの誕生も病院、死ぬ時も病院というケースが多い。生や死に触れる機会が少なくなっている中、まずは多くの人が生と死を現実のものとして理解してからでないと、本来の議論ができないと考える。法制化の前に、生や死の場面に触れる中で自分の命を考
えるようになり、自分の人生をどう生きるかという「命の自立心」を成熟させていくことが大切。
終末期を迎える病気もいろいろあり、医療者が発言する機会が増えることも必要。医療の現実を知る人が増える環境づくりを進めながら議論すべきで、最終的にガイドラインは必要になるだろう。命の最期を支えるということは簡単なことではないが、「命」をみんなで支えられるということがきちんと伝わらないまま法制化されるのは歓迎できない。
-世界では終末期医療での治療選択について意思表示をしてお<リビング・ウィルを進めている国が多い。
個人主義で自己責任が強く問われる欧米とは異なり、日本には本音をはっきり言わず、気持ちを受け取ってもらうという国民性がある。多くの日本人は「死期が近づいて尊厳死を選ぶか」と聞かれても、すぐに答えは出せないだろう。どれだけの日本人が自分がどういう哲学で人生をやり遂げるかを考えているかは疑問。健康な時に考えたとしてもそれはイメージでしかないし、自分らしく死にたいと思っても現実感はないだろう。
-日本尊厳死協会は「リビング・ウィル」は医療者を守る事だという見解を示しているが。
医療者は患者を救いたいと思っているし、患者にとって何が最善か悩みながら治療を行っている。一方で、もう治らないという結論が出ると「すべてやり尽くした。もうしてあげられることはない」という気持ちを抱き、苦悩する医療者がいるのも確か。
現代の医療現場では多くの場面で、死が医療によって支配されているが、患者にはそれぞれ歩んできた人生があり、死は医療だけでは支配できないということをきちんと理解しなければならない。死は文化であり、医療者や宗教家、法律家などさまざまな立場から議論を深めてほしい。
2006年(平成18年)4月23日 日曜日 山梨日日新聞より