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「美しい人(下)」 6月10日中日新聞掲載の記事より

前回、ハナさんという91歳のすい臓がんの女性のお話をした。普段は3人暮らしだったけれど、最後の10ヶ月はいつも孫やひ孫の声に囲まれて、大家族のように賑やかに過ごしていた。「ハナさんは、看てくれる人に恵まれて幸せですね。」という羨む声が聞こえてきそうだ。今はお年寄りのひとり暮らしや、老老介護がどんな地方に行っても多くある。


「病気になって病院から追い出されたら、お手上げだわ。」という心配も分かる。しかし、どんな困難な状況でも、自分の望む道が開けることもある。それを教えてくれるのは、87歳の中山さん(仮名)という女性。下町の古い小さな家に、ずっとひとり住まい。難病があり、歩行もやっとで、言葉も聞き取りづらい。(私たちは10年のお付き合いで、ずいぶん分かるようになった。)身内も少なく、ほぼ天涯孤独らしい。言葉にならない苦労があったはずなのに、この10年中山さんから愚痴を聞いたことがない。最小限のことをヘルパーさんに依頼するだけで、自分の身の回りのことは自分で何とかやり遂げている。一回だけ、寒い冬に施設に入ったことはあるが、すぐに出てきてしまった。自立心の強い中山さんには、親切な介助も何だか返って力を奪われるようで、いやになったのかもしれなかった。
「なるべく長くここに居れれば幸せなんです。花の世話が大好きだから。」
どうやって水やりをするのか想像できないほど、歩くのも大変なのに、小さな前庭には、中山さんが育てる花々が鮮やかな色でいつも咲いている。往診の度に私に一鉢ずつプレゼントして下さるのだ。だから私の診療所の前は中山さんからの花々で溢れて、訪れる人の目を楽しませてくれる。普通ではとてもできそうもないひとり暮らしを続ける中山さん。どんな状況でも、自分の意思を強く持ち、在るがままを受け入れる自然の姿に見とれてしまう。少しだけお手伝いしてくれる心通う人たちを見つけたら、人生を自分らしく生ききる可能性の道は開けるかもしれない、と思える。凛として穏やかに微笑む中山さんと話をする度に、彼女も「美しい人」のひとりだなと、心の中に尊敬の念が湧く。
さて、前回お話した、ハナさんの最期の日々のことにまた少し触れておきたい。ハナさんのところには、たくさんの見舞客が恐る恐るやって来たらしい。本好きのハナさんの枕元には、私の著書も積んであった。ハナさんはその本を指し示しました。
「この本は何の本?」
「在宅ホスピス。」
「そう。誰が書いた?」
「内藤いづみ先生。」
「内藤先生はどんな患者を診る?」
「末期がんの人。」
「私の主治医は?」
「内藤先生。」
「では私は?」
「末期がん!えー!(笑)」
そんな漫才問答で見舞客の緊張を解き、和やかな空気にしたらしい。だからいつも家は明るい笑い声で満ちていた。その輪の中に、私の活動を追う30代の独身女性のテレビディレクターも時々入れて頂いた。私は彼女に伝えてあった。
「あなたが想像するような、ドタバタのドラマはありません。苦しみなく、平和な毎日を重ねてもらうのが私たちの役目だから。そのために、さりげなく、しかし、プロとして要所を押さえて見張っているのが私の仕事。」
余命2ヶ月の予想を越えて、桜の花見が済み、つつじもさつきも過ぎて、甲府の猛暑も越え、秋の彼岸に近くなった。神様の決めた寿命がいつ期限が来るのか誰も分からなかった。ハナさんの小康状態は続いていた。
ある日「鮎が食べたい。」と注文を出したところ、古い友人が渓流で釣った鮎が炉端焼き店で焼かれ、2匹届けられた。「美味しい!」と全部たいらげて、「ありがとう。」と言って眠りについた。それから一昼夜、安らかな寝息を立てて眠り続け、家族に囲まれて、擦られ、声を掛けられながら静かに息を引き取った。その顔を見て、「おばあちゃん、きれい!」とひ孫が声を上げた。ハナさんはこうして望むように、花のように人生を閉じた。
以上が私がお会いしたふたりの「美しい人」の話である。ハナさんには、もうひとつ余談が付いてきた。半年経った頃、取材をしていた独身の女性ディレクターが、私に結婚式の招待状を持ってあいさつに来た。
「ハナさんの人生にお付き合いするうちに、あなたもいのちの輪を繋げなさい、と言われた気がしました。そしたら縁があり、人生の伴侶を見つけました。」
ハナさんが残した美しいサプライズ。