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 「美しい人」 6月8日中日新聞掲載

一昨年「美しい人」という映画が評判になり、私も観に行った。「美しい」とは何かを改めて問いかけられた。最近は、美しさを獲得するための情報や手段に溢れていて、確かにきれいな日本女性は増えたかもしれないが、「美しさ」とはやや違うようにも感じている。たとえば、昔のお母さんたちは、美しかったと私は思う。美しさとは、自己欲を越えて、忍耐力を持って、他者のために生きる、凛とした香りを持つのではないだろうか。


今回は在宅ホスピスケアの仕事を20年近く続ける中で、私が出会った「美しい人」を紹介したい。その前に少し触れておきたいのだが、最近は老人医療費の問題が世間を騒がせている。心の通った丁寧な説明が乏しいから、あちこちで感情的な反発が起きている。私だって、家でのいのちの看取りを推進してきたひとりだから、国を挙げての在宅ケアへの方針転換は喜ばしいこととして賛成したい。
しかし、在宅でのいのちを支える体制の方はまだまだ間に合わないのに、老人医療費削減の目的のみが露骨に前面に出ていてしっくりこない。濃厚な終末期医療を病院で行うより、在宅ホスピスケアの方が机上の計算ではだいぶ安上がりに済むらしい。加えてご老人本人たちが、平和な時代の中で「死をみつめる」ことなしに過ごしてきたつけが大きくのしかかっている。家でいのちの最期を過ごす、ということは、取りも直さず、今まで医療者に任せきりだったいのちのハンドルを自分に取り戻し、いのちをみつめて自分で運転することに他ならない。そんな大転換であることの自覚は少ないから、医療費の問題と同時に、皆さんがとても焦って困っているのだと思う。
私の診療所には、今までも自分たちで考えて、いのちの過ごし方の選択を相談にいらっしゃる方が多い。ある日91歳のすい臓がん末期の女性、ハナさんの娘さんが相談に見えた。専門医の紹介状には、「余命1~2ヶ月」とあった。
「年齢はもう十分なことは分かっています。母は病気を知って、絶対に病院へ入院したくない、ずっと家に居たい、と言っています。母の望みを叶えてあげたい。でも、私たちにできるでしょうか?がんは、苦しみぬくと言いますし・・・」
30代で夫を亡くし、ひとりで働きづめに働いて、子供を育て上げたハナさんは、気丈な賢い人で、子供たちはずっと母を尊敬してきたという。娘夫婦と3人で平和な老後を過ごしていた。
「家に居ても24時間体制で、私たちが見守っています。がんの痛みは安全に家でも緩和できます。万が一の時には、病院に入院できるようにしますから。」
と説明すると、娘さんはやっとほっとした顔をした。
往診に伺うと、ハナさんは髪の毛を柔らかなパープル色に染め、背筋をしゃんと伸ばしてベッドに座って待っていた。
「私の人生は苦労も多かったけれど、嬉しいことも同じ位ありました。91年間、前を向いて生きてきました。後は、神様の下さった寿命に任せたい。名前のハナ(花)のように、生き切りたいです。助けて下さいね。」
ベッドの上の壁には大きな自分の顔写真が飾られていた。
「髪を染めてきれいになったので、ついでに記念に撮りました。あの日に使えるように。」
「必ず来る日のために?」
「そうです。」
と言って、ハナさんは花のように笑った。
3人家族の生活は、次々と訪れる孫やひ孫でにぎやかに、大家族の再結集になった。そして、皆で記念写真を眺めながら、余命2ヶ月はいつの間にか10ヶ月へと延びたのだった。   
(続く)
2008年6月8日 中日新聞掲載の記事より抜粋