あなたがいてくれる
日本医事新報の「プラタナス」というコーナー向けにエッセーをご紹介します。
プラタナス 「あなたがいてくれる」
内藤いづみ
医学部合格の喜びの報があちこちで聞かれる時期である。医師の仕事の過酷さがマスコミで大きく報じられているが、若者の間で医学部人気は衰えていないらしい。
嬉しいな、と思うのと同時に、私たちが体験してきたような患者との信頼関係は今後も不変だろうか、と心配になる。「私に任せなさい。最善を尽くしますから。」という患者の気持ちを置き去りにした、医師主導のDoctor Oriented Systemから、患者が主役のPatient Oriented Systemへの転換が日本でもなされた。
善き伴走者として医師たちも努力して、多くの情報をていねいに伝えるようになったのは喜ばしい。しかし、本当に医師と患者の信頼関係も深まっているだろうか。全ての医療情報を数字とパーセントで説明し、予測することは不可能だ。他人の人生の生と死の質と長さに関与することを許された私たちの仕事は、契約上の責任だけで済ませることはできない。誤解を覚悟で申し上げると、プロとしての最善を尽くすのは当然だが、人間としての限界を許し合う余地は全く存在しないのだろうか。
25年前臨床病院の研修医時代、たくさんの末期がんの患者を受け持ち、告知もない状況で、患者の残された人生に役に立つためにどうしたらよいのか分らず悩んだ。その頃から親交を結んだ作家の遠藤周作氏は、その様子を見てこう私に言った。
「若い君にはさぞ辛いだろう。覚えておきたまえ。医者と神父は人の魂に手を突っ込む仕事なんだ。辛いのは当たり前だ。人生に無駄はない。しっかりいのちに向かい合いなさい。」
それまでの医学の勉強の中で、魂などという頃目は全く出てこなかったから、私はその言葉に緊張し、更に悩みを深めた。その頃、病院で20代の末期がんの女性に出会った。在宅ホスピスケアの師も、モデルもなかったが、彼女は家に帰ることを望んだ。幸運にも家に連れて帰り、ご家族と一緒に必死で彼女のいのちに向かい合った。私の初めての在宅ホスピスの仕事でした。
最期が近づいたある日、家に居ることが不安ではないか、彼女に尋ねた。
「このままでいい。大学病院の100人の先生より、私のために内藤先生がひとりいてくれればいいの。」
彼女のくれたその言葉が、死を救えることのできない私の医師としての未熟さも許してくれ、今も私の足元を照らす光となっている。
患者との出会いには意味がある。「あなたがいてくれて、幸せだ。」と言ってもらえる出会いがあってこそ、私たちはどんな辛い仕事も、医師の誇りに磨きを掛けてやり遂げられるはずだ。試練と喜びで成長を続ける医師が、これからも増えてほしい。