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感動を見つける日々の努力が、幸せにつながる

清流2014年1月号より
在宅ホスピス医・内藤いづみさんは、これまで多くの患者さんの死とその家族の看取りに立ち合ってきました。
そんな中で気づいたのは、一日一日を感謝して生きることができれば、そこにさまざまな幸せが生まれる、ということ。
内藤さんが示してくれた幸せに近づく方法は意外にも、私たちが忘れがちな。当たり前のことでした。

人は最期まで生きたいと願っている
 最近、私は更年期の出口付近にいるらしく、体調がすぐれない日がたびたびあります。そういうときは、今までは抱えることができていた末期がんの患者さんたちの、とくに精神的な苦しみが重くのしかかってきます。しかし、ここをうまく抜けきれば、またさらに患者さんたちの苦しみが理解できる医者に近づけるのでは、という気もしています。
 私か終末医療の道に進んだのは「目の前の病気で苦しんでいる人に何かできるだろうか」と考えた結果です。その答えを探る中で、生々しい人間の苦しみを凝視してきましたが、同時にさまざまな形の幸せにも気づかされました。
 人は、どんなに死が近づいていることがわかっていても、最期まで「生きたい」と願っています。
死の受容は大変に難しく、最後まで闘いです。なぜなら、人間の行為そのものは「生きること」に向かっているから。肉体は老いていきますが、こうした命の本質は変わりません。オギャアと生まれたときのままの、エネルギーを持ち続けています。だからこそ、死が受け入れがたく、苦しく、壮絶な闘いになるのです。
 その苦しみを少しでも軽くしてあげることができるのが、最期を看取る家族や周囲の人たちです。
それを、ある程度の距離を保ちながら全力でサポートするのが、私たちホスピスケアの医療者の役割です。

「いいこと探し」で感受性を磨く
 しかしながら今、多くの人々は、死が遠くにしか感じられなくなっています。介護も看取りも施設や病院に委ね、人に任せて、自分で体験することはほんの一部でしかおりません。子どもの携帯ゲームのようにバーチャル化している、と言えば、大げさでしょうか。
 精神科医、ヴィクトール・E・フーフンクルは、第二次世界大戦時にナチスの収容所で過ごした体験から、人間の生きる意味について考察し、著書の中で「人には三つの価値を生み出す力かおる」と述べています。その中の一つに、「何かを体験する、感動する、さまざまな感情を味わう」という価値があります。
 私はこの「体験する」と「感動する」ことが、今はとくに足りない気がしています。体験しなければ感動することはできません。そして、体験するときに感受性のアンテナを立てていれば、感動的なことがたくさんキャッチできるでしょう。
 講演会などで私はみなさんに、「寝る前に今日あったいいこと、楽しかったことを五つ、挙げてみてください」とお願いしています。
おいしいものを食べたことでも、店員さんがおもしろくて笑ったことでも、何でもいいのです。いいことを思い出す訓練をしていると感受性が磨かれ、小さなことで感動したり、おもしろがることができる自分を発見できます。そして、日々を幸せに生きていこうという意識が芽生えてきます。
 また私は、1日の始まりに「○月○日、今日はいい日」と声に出して言うことにしています。そして、「今日はいい日だった」と一日を締めくくることができたら、すべてのものに感謝する気持ちがわいてきて、人生が変わってきます。この習慣は、幸せに近づくためのも最もシンプルで効果的な方法だと思うので、ぜひ実践してみてください。

普通の日々の中に幸せの粒を見つける
 一日一日を幸せに生きていこうと努力すること。それは末期の患者さんたちにとって、死の恐怖を乗り越える力になります。なぜなら、今日という日は連続するものではなく、一日で終結するものだから、今日一日を充実させるしかないのだと、腹をくくることができるからです。
 そういった患者さんたちの成長を目の当たりにできるのが看取りの場です。心身共に疲労はしますが達成感があり、限られた命を生ききる意味をプレゼントされる、と言っても過言ではありません。
そうは言っても、看取りを行なうことは簡単ではありません。家族間でいったんはまとまったはずの看取りに対する考えがバラバラになり、けんかになってしまうこともあります。それでもそれぞれが看取りに真剣にかかわることで何かを得て、最後は喜びに包まれた例を、たくさん見てきました。
そのようなすばらしい看取りを終えた人は、普通のことが最高に幸せなのだと気づきます。
 私はこれまで、終末期の患者さんご家族の方々から、たくさんの幸せになるためのヒントをいただきました。それを13項目にまとめたのが『しあわせの13粒』という絵本です。ここに挙げたのは、当たり前のことばかり。でも、「人の幸せとは比べない」「人のせいにはしない」「欲張らない」などは、意外に難しかったりします。自分に足りないものは何か、ときどき立ち止まって考えてみて、幸せの粒を探し集めてみませんか?
それが幸せに近づく最善の方法だと思います。
(談/文 山中純子さん)