遠藤周作先生との思い出
遠藤周作さんは誰もが認める日本の誇りである、文豪です。
若き日に、交流をいただきました。
思い出がこの文集に載っています。
「遠藤周作生誕100年記念文集 ―遠藤周作とのめぐりあい― 遠藤周作文学館編」
価格:800円(税込)、販売場所:遠藤周作文学館
長崎市の文学館の企画です。
私と遠藤先生との対談は、「あした野原に出てみよう」という私の著書に出ています。
「心あたたかな医者であれ」
早くから字を教えてくれた母のおかげで、小学生になると「世界名作文学全集」に心を
踊らせた。本は、小さな世界に住む私を外の世界へと押し出してくれた。
「遠藤周作」という作家のこともやがて知るようになった。キリスト教と深い関わりがあ
る人。深く怖いほど重厚な作品の片わら、軽妙な面白い作品もたくさん書いていた。不思
議な文豪だと思った。
「人間を学びたい。人間に役にたつ仕事をしたい」と思った私は、14才の時に「医者に
なる」と志をたてた。決心を父に伝えると、父は「かわいそうだなあ」というような表情
になった。「いい医者になるのは至難の道だ。がんばりなさい」と言った。その一年後父
は急逝した。
周作先生と知り合ったのは、研修医時代で先生の始めた「心あたたかな医療をつくりた
い」というキャンペーンを知ったことがきっかけだった。すぐにお便りを出した。病人と
しての体験のある先生のおっしゃることは、医療現場にいる私には痛いほど共鳴できた。
当時、告知もなく、末期がん患者は孤独に泣いていた。医療を頼りにしている患者が、ど
んなにぞんざいに扱われているか、新米医者の私は手紙で切々と訴えた。
「キャンペーンに反応してくれた医者はあなたが初めてです。お会いしましょう」とすぐ
に葉書きでお返事をくださった。初対面のカフェできれいなケーキを前に、目を白黒する
私を見て「何個でも食べなさい」と苦笑なさった。それから長い交流をいただいた。20代
の末期がんの女性患者の命によりそう現場の悩みなどを伝えると、先生は、あの時の父に
似た目で私をみた。
「若い時にそんなつらい体験をしたら、心がこわれて冷たい医者になってしまう。かわい
そうに」
当時、現役の日野原重明医師にも相談したらしい。日野原先生は、
「よい医者になるために通るべき道、試練です。」
とお答えになったそうだ。
医者になって40年。患者の権利は今や、守られるようになった。人種も性別も年令もこ
えて、人類共通な死の恐怖やがんの痛みから患者さんを解放するために、私は今も在宅ホ
スピスケアの現場にいる。喜びもあるが苦しみもある。
「いづみさん。医者と神父は魂に手をつっこむ仕事だ。人の苦しみに近づいて、最善をつ
くしているのかね? やさしさを失っていないかね? 心のあたたかさを失ったら、君が
医者をしている意味はないんだよ。君の道をしっかりと進みなさい。」
先生の声が、今も私の足元を照らして下さっている。