ホスピス記事

幸せは誰にも訪れている

向上」2023年3月号、「生きる喜び」より。

「幸せとは何か?いつ幸せと思えるのか?」
それを問いかけながら働いてきた。

在宅ホスピスケアといういのちに向かい合う分野に、40年近く医師として身を置いてきたのは、がんが手おくれの段階でも、体の痛みを和らげることができたら、患者さんは幸せと思って下さるのか知りたかった。

私が40年前初めて在宅で看取った23歳の末期がんの女性患者は勇気を持って大学病院から家に戻り、笑顔を取り戻した。
「家族がそばにいるから幸せ。内藤先生もいつもそばにいてくれるから、うれしい。」
そう言ってくれた。24時間いつでもかけつける私の責任は重かった。携帯電話もなく、ポケットベルを懐中に入れて働く時代だった。何かあったら一刻も早くかけつける体制でいたから私の緊張は大きかった。

本人は、ゆったりと「今を生き抜く」という平和な3ヶ月の日々を送ることができた。彼女は私や家族に絶望や焦りを見せることはほとんどなかった。時には未来の希望、「結婚して子供を産む」というようなことも明るく口にした。知性ある賢い女性だった。錯乱してそんなことを言ったわけではなく、自分の余命が短いことも悟っていたはずだった。
当時、20代の私にはなぜ彼女がそんなことを言ったのか、よくわからなかった。今なら少しわかる。この40年の実践の中で、患者さんたちが教えてくれたのだ。

70代のがん患者の女性は、家で過ごすことを選択し、3年近く平和に暮らした。
ある時期に、旅立ちに向かった。がんが一気に進行したのだ。そんな時、私は臥せる彼女に思いきって聞いてみた。「今、どんなお気持ちでるか?」と。
まじめに素朴な人生を送ってきた彼女は、澄んだ目で私をみつめて迷いなく答えた。
「こういう日がいつか来るとわかっていたけれど、ついにその日が来てしまったんですね。ああ、来てしまった、そういう気持ちです。」
それ以上の長い会話は続かなかったが、
「先生、今までありがとう。おかげ様で幸せでした。」
そういう声なき言葉が私の胸に届いた。私はその時、千年前の平安時代の歌人・在原業平の辞世の句を思い出していた。

ついにいく 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを

人の心は変わっていない。そして、ひょっとするとこれは神さまからの優しい働き(プレゼント)ではないか?と思ったりした。
「人は必ずいつか死ぬ」という現実を一度はかみしめたら、あとは忘れていいのだ。
平和に明るく今を生きるということに集中して希望を抱いてすごしていいのだ、と。それはまるで、パンドラの箱をあけたら飛び出してきたたくさんの不幸や絶望を、災いのあと、最後に残ってひとつ出てきたもの、「希望」のともしびに他ならないように感じた。
「今に集中して生きる」それは現代社会で流行しているマインドフルネスにも通じる。
絶望、失意におそわれた時、それを味わいつくせ、というのはいささか残酷なもの言いだと思う。本人にとってつらすぎる体験なのだから。しかし絶望の底に足がついた、と感じたなら(本人にはわかる)自己憐憫の閉鎖空間に閉じ込められルづけるのではなく、少しずつ浮かびあがってほしい、と私は願う。本人しかできないことなのだ。

野原に出て、太陽をあび、風の中に立って、心に風を通してほしい。そしてささやかに「幸せだ」という思いがわいてきたら、その気持ちを持てた自分をほめてほしい。みなさんにはできる。死にゆくことに向かい合う、という人生の最大のレッスンを果たした患者さんや死別を乗り越えていく家族が教えてくださった。「大丈夫。幸せになれるよ。なっていいのだよ」と。

とは言え、自分ひとりで乗り越えていくのはハードな場合もある。困難な状況を伝え、それにそっと伴走してくれる助け人がいたらありがたい。そういう存在に出会えた時、あなたは自分の人生を自力で歩み、再出発できそうだと感じることだろう。

40代で、がんの全身転移のために余命半年の人生をどう送るか、考え抜いた男性患者は「家族とともに過ごす」ということを最優先に選んだ。
「内藤先生が、ぼくのがんの痛みを和らげてくれるので、ぼくはいつも家族のことを考えていられる。ありがとう。ぼくは幸せだ。」
私はその時に彼のいのちの伴走医に選ばれたのだと後々思い出す。信頼の裏づけがあって希望が生まれ、幸せも形をみせる。信じる思いを、心を深く耕して、探してほしい。
あなたの幸せはすぐそこに訪れている。