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ともだちは人生の妙薬

向上2022年3月号「随想 友達っていいな 」より

この原稿を書き始めたときに、長く交流のある絵本作家の内田麟太郎さんから新刊の陶板絵詩集が届きました。タイトルは「ともだち」、すてきな絵本です。
原画展をみてみたい、と思いました。
このタイミングに感謝しつつ、ともだちに関連した本を私から紹介します。みなさん、若い頃お読みになったと思います。

「2人はともだち」1970年 アーノルドローベル作
がまくんとかえるくんの物語(frog and toad are friends)
少しナンセンスなユーモアあふれるやさしい絵本です。
幼心を取り戻したい時に。

「三銃士」1844年 デュマ作
心おどる活劇です。三銃士に加わるダルタニヤンの成長。
舞台は17世紀、若きルイ13世のフランス。イギリスも登場します。
ああ、思い出しただけでわくわくします。

「秘密の花園」1911年 バーネット作
舞台はイギリスのヨークシャーの荒野。しかしそこにある自然の力と友情でよみがえる若いいのちの輝き。昔にかかれた作品なのに、勇気を与えてくれる名作です。

向上2022年3月号表紙
大人になって大泣きしたことが私には3回あります。在宅ホスピス医である私は、永遠の別れのそばにいつもいます。しかし、医療チームのリーダーの私が、さめざめと泣く余裕はありません。御本人の「最期まで、安らかに幸せに家にいたい」という希望をかなえるための、重い責任を常に自覚して必死でいのちに向かい合っているからです。臨終を告げる時がおとずれると、「使命を果たせた」という安堵感に似た思いが湧くことさえあるのです。
私には12歳の時に知り合った幼なじみがいました。今でも運命的な初対面の時をありありと覚えています。それから、50年近く交流が続き、お互いの弱さも、強さも、互いの人生の歴史も深く知る友でした。
ある日彼女に会うと、「おなかが重苦しい」と言いました。職業柄、ドキッとしました。おなかを触診してみると、固いもの(腫瘤)に触れました。
「固い。たぶん、がんだ。」私の医師としての直観は残念ながらあたっていました。それから、手術や抗がん剤治療をがんばりましたが、やがて治療も効果がなくなり、末期となり入院しました。
最期の時が近づいた頃、お見舞いに行くと、かさの小さくなった体でベッドのまん中にくしゃりと丸まって寝ていました。苦しそうな息づかいだけが聴こえました。胸がつぶれる思いでした。
12歳の時の私に戻って言葉がでました。
「大丈夫け?」
耳元で問いかけると、彼女はうす目をあけて「ウン、ウン」とうなずきました。「だめだよぉ。逝っちゃだめだよぉ」、私は人目も気にせず大泣きをしました。あんなに泣いたのは大人になって初めてかもしれません。すると、彼女が私の手をにぎり返してくれました。
「内さん。しっかりして。」そんな声が聴こえた気がして、私の大泣きは止まったのでした。こんな時さえも彼女はしっかりと私を支えてくれたのです。彼女の強さとやさしさを思い出すと、私の中にあたたかさがあふれるから不思議です。
私は小さな自分の診療所で午前は一般の外来、午後は高齢者やがんの患者の往診をして30年が経ちます。その間、たくさんの患者さんと知り合いました。
15年ほど前、70歳を越えた老婦人がタクシーで私の外来をたずねてきました。
フラフラとした足取りで、杖をついてやっと歩ける状態。言葉もろれつが回らず、紹介状を見ると脳神経系の難病とわかりました。
御主人も亡くなり、身内はほとんどおらずひとりぐらしをしていて、「なるべく長くひとりぐらしができるよう、助けて下さい」という依頼でした。
彼女は大変自立した女性でした。健康状態も家の環境もきびしいものでしたが、お気に入りのヘルパーさんに最小限の用事を頼み、ひょうひょうと楽しそうに、おだやかに、小さな前庭に花を育てて、自分のペースで暮らしていました。かつては、おそうざい屋さんだったということで、「自分の食事くらい簡単に作れますよ」とほこらしげに話してくれました。
私は定期的に往診して、彼女のいのちの見守り役となり、人生の最終章を囲む数少ないメンバーのひとりになりました。時には友人のように感じたりもしながら、10年近くが経ちました。しだいに体力は落ち、日常生活も困難になったため、老人ホームに入ることを自分で決めました。
老人ホームは決まり(ルール) が多く、私がそこへ往診できないので、ヘルパーさんと私の診療所の外来へ通院するようになりました。
「先生、最期までお願いね!」。それが彼女の願いでした。私も彼女を最後まで見守る使命があったので、老人ホームに「万が一の時はいつでも私を呼んでほしい。彼女との約束だから」と伝えていました。
しかし、ある夜中に急変し救急車で病院に運ばれ、そのまま死亡が確認されました。その悲しい知らせがヘルパーさんを通じて私のところに届いたのは
10日後のこと。私の依頼は老人ホームのマニュアルの壁にはね返されてしまったのです。私は残念というより自分の力が足りなったことがくやしくて、その夜の担当看護師と話をする時間をいただきました。
「お伝えしてあったのに、なぜ私を呼んで下さらなかったのですか?」私はすごい勢いでそう言いました。担当の方は困惑しながらも、「そこまで身内のような深い関わり方をする医者に会ったことがなかった。患者さんは十把ひとからげで大勢の中のひとりと考える医者ばかりを見てきたので、マニュアル通りにしてしまった。お二人の思いをくめず、すみません… 」
と、私の気持ちを分かってくださいました。
亡くなったお顔も拝見できず、彼女との約束は果たせませんでした。けれど、彼女は優しく微笑んで許してくれる… そんな風にも思う私がいました。いつもあたたかく見守って力を与えてくれるともだちというのは、人生の不思議な妙薬です。