メディア出演情報

在宅ホスピス「いのちに寄り添って」

桜蔭会千葉支部便り2012年9月号より

 内藤先生は、NPO日本ホスピス在宅ケア法人研究会理事で、1986年より英国のホスピスケアの研修を受け、約30年間ホスピスケアの実践と啓蒙に取り組んできました。「いのちの歳時記」「最高に幸せな生き方死の迎え方」「いのちに寄り添って」など著書も多く、多彩な講演活動を展開されています。

人は100パーセント死ぬ
 ホスピスケアの先輩医師から「地震の避難訓練は毎年しているのに、死の準備、訓練がないのはおかしいと思わないか」という問いかけがあった。その後、永六輔氏の「亡くなる前の人が星を見れば、死の準備教育に役立つかなあ」という言葉に、「末期ガンの人は疲れていて、星を見上げる事も難しい」と答え、「元気な時に星を見てほしい」という会話を交わしたことがある。私たちは星のカケラをもらって生活している。。いつか死んで星になる”太古の人はそれを知っていた。神話の中に死ぬと言うことの準備教育があり、現代の科学によって証明されている事も多い。

知ることは力になる
 人間の尊厳とは何か。それは自分の頭で考え、情報や判断材料を収集して選択決定し、その結果を受け入れ愛すること。長生きするということは50パーセントの確率でガンになるということである。ガンには抗ガン剤が効く場合と、そうでない場合がある。効かないことがわかった場合、人間の尊厳とは何かを思い出してほしい。ホスピスケアも患者本人と残された人々が痛みを分かち合い、最後の時間を豊かに未来への糧となるような日々を過ごすことにある。命を自分達で考え、ガンと共存しホスピスを選ぶ自由もある事を知ってほしい。知ることを怖からないでほしい。知識が力になるケースを何度も経験した。

命を囲んだ仲間となる
 人間の尊厳を保ちながら旅立つ事、そして限られた時を常に希望を持って明日を迎える事ができる様に暮らすことがホスピスである。体の痛みは医者が取ることはできるが、ソーシャルペインを取り除くことは医者だけでは無理である。命を囲んだ仲間になる必要がある。残された人達も「素晴らしい、綺麗だ、幸せだなあ」を積み垂ねていく事が大切。
遺族自身が楽しい思いをしていい、という気持ちになるまでは、徹底的に悲しむ時期が必要である。ある精神科医が「絶望を味わい尽くした後に、新しい自分に生まれ変わる」と言った。東北の被災した方々はまだ多くの時間が必要である。

ホスピスケアは宝船である
 体の痛みを緩和するのは、患者が自分の持っている宝物に気付き、人生を歩みきってほしいからである。
余命半年の患者が自宅での最後の日々を綴った日記は感謝の言葉で終わっていた。ホスピスの日々を宝船と気付いた事例である。ホスピスを学ぶという事は自分の命、相手の命、周りの命、自然の命、地球の命、星の命、すべての命に向かい合い感謝すること。最後は谷川俊太郎さんの「愛」という詩で講演を締めくくられた。(山城 記)

講演会に参加して 寺井ちなみ 昭54国
 内藤いづみさんと私は中学時代の同級生である。その彼女が終末期医療に取り組む医師として故郷の山梨で活躍し、その取り組みが全国に広まり、今こうしてお茶大同窓会の講演会講師として壇上に立っている。同級生として本当に誇らしいことだ。
 実は昨年末、父が他界した。初めて体験する肉親の死であった。入院中、父は私たちにいつも感謝し、幸せな人生だったと言っていた。穏やかな気持ちで逝くことができたと思っているが、内藤さんの話を聞きながら、私は父の消えゆく命とどのように向き合ったかをあらためて考えさせられた。
 最後の1週間前、昨今医療問題として取り上げられることの多い「胃ろう」を医師から勧められ、父も私たち家族も同意したのだが、結局、手術直前に力尽きた。その時は間に合わなかったと残念な思いがあったが、今はむしろ幸いだったかもしれないと思う。過剰な延命治療をせずに(ある段階で)自然に旅立つことができたからだ。不勉強な私であるが、肉親の看取りという体験を通していくつもの気付きがあったように思う。
 内藤さんは最後にこうしめくくった。「自分の命、相手の命、自然の、地球の、星の、すべての命に向かいあい、そして感謝しよう」と。父はきっとすべてのものに感謝し、別れを言って旅立ったことだろう。そして今、人生の後半を生きている私。
気付かずにいたことを拾い集め、にあちらの世界に旅立つことができそうな気がする。でもそれはまだ先のこと、おおいに人生を楽しんでからだ。
 命と向き合う、そのたいへんな仕事の中で内藤さんは常に貴重なことを学んでおられる。機会があったらまたその話を聞かせてほしい。

人間の尊厳 T・Y(一般参加男性)
 昨日、市川でのお茶の水女子大同窓会千葉支部講演会で先生のお話を伺いました。その中で、「人間の尊厳はトイレ」と言うお話がありました。私にとっては「なるほど!これはやっぱり現場にいらっしやるかたのお話だ。」と一人感動したものです。

 というのは・…私の母は20年前、心臓病で人退院を繰り返したのち、千葉市内の病院で私の家族に看取られて静かになくなりました。その時の母のこの世に残した最後の言葉がなんと「大便(だいべん)」(トイレヘ連れて行けという意味でした)だったのです。あとでよく考えてみると「プライドの高い、凄い母だったんだな。」と思い当たりました。
先生のおっしやる「人間の尊厳」でしょう。

 母は敗戦直後「流れる星は生きている」の藤原ていさんと同じように、乳飲み子の兄と私二人を連れて(父はシベリア抑留中)朝鮮半島を歩いて引き揚げてきた人。その母の最期
でした。

 先生のお話、勿論メインテーマにも共感して聴かせていただきました。優しい話し声の中にも現場の迫力を感じました。中には私のように妙(?)な所に感動して受け止めている聴衆のいることもお知らせしたくって、お便りしました。