井上ウィマラ・内藤いづみ往復書簡Vol.1
「悲しむ力と育む力」 井上ウィマラ(往)
このたび内藤いづみ先生のHPで往復書簡の形式でお話させていただくことになりました。私は高野山大学のスピリチュアルケア学科で教えていますが、2年ほど前大学に招聘される以前は内藤先生のクリニックでチャプレンをさせていただいておりました。今でも時々お手伝いさせていただくことがあります。不思議なご縁です。
大学で教えていることは、「仏教瞑想」と瞑想をベースとした「スピリチュアルケアのためのコミュニケーションスキル」が中心です。2年目に入った今年は、大学院受験のための「英語特進コース」と「日本語の再履修コース」、それにアジア文化史として「現代日本のスピリチュアリティー」や「仏教瞑想の基礎理論」を講じることになりました。どの授業の中でも私が大切にしていることは、生徒の関心と能力を大切にすること、さまざまな形で生徒同士の交流を通して学ぶプロセスをその場でファシリテートゆくことです。なぜこのような体験学習的アプローチをするかというと、それがスピリチュアルな心遣いの実際をその場で実体験してもらうことになるからです。
私たちは自分を大切にしてもらう体験がなければ他人を大切にすることはできません。スピリチュアルケアのできる人材を育てるためには、まずは自分自身がほんとうの意味でスピリチュアルなケアを受けること、スピリチュアルな次元から大切にされる体験を持つことが必要なのです。それは人生のどのような場面にも当てはまることであり可能なことなのだと思います。
さて、今回の内藤先生との企画をすることになり思い浮かんだのが「悲しむ力と育む力」というテーマです。これは今の私が子育て支援の現場と死の看取りやグリーフワークの現場に同時に関わっていて痛感していることです。たとえば親が死を迎えるとき、子どもがよく面倒を見る場合もあれば、姿さえ見せない場合もあります。親の死を機会に断絶していた親子が和解するケースもあります。どのようなケースにせよ、その人が子どもをどのように育んできたか、子どもとどのように向かい合ってきたのかが自然に浮かび上がってきます。夫婦関係においては言わずもがなです。
ある60代の男性Fさんは末期がんで死を迎えようとしていました。企業戦士で家庭は妻に任せきりでした。長女と長男の二人の子どもがいました。妻はFさんに対する愚痴を幼い娘にこぼしながら育ててきました。長女は離婚して幼い娘と二人で暮らしているとのことでしたが、離婚のときのいざこざが原因で父親とは断絶状態でした。長男はまだ独身でした。妻や長男は長女と連絡を取り合っている様子でしたが、Fさんとの間で長女のことが話題になることはありませんでした。
しかし、ある日のことFさんは病院のスタッフに「娘のことが気がかりだ。仕事に忙しくてきちんと向かい合うことをせず、離婚のときも自分の価値観を押し付けてしまった。父親として申し訳なく思っている」ということを漏らしました。スタッフは妻と長男にそのことを伝え相談して、長男から長女に父親の状態を説明して「出来たらいちど会いに来て欲しい」と伝えてもらうことにしました。3日後、娘さんはFさんのもとに面会にやってきました。数年ぶりの再開でした。
最初は言葉に詰っていた二人でしたが、やがてFさんのほうからポツリポツリと語り掛けが始まりました。まずは自分の価値観を押し付けて申し訳なかった、もっとお前の話を聞いてあげればよかったと思うということが伝えられました。娘さんは黙って聞いていました。しばらくの沈黙が続いた後、Fさんは娘さんが生まれたときのことを話し始めました。初めての赤ちゃんで、不安もあったが実際に抱いてみるととても嬉しかったこと。自分でお風呂に入れてあげたときのこと。仕事が忙しくなって遊んだり話し合う時間が取れなくなり、お母さんにすべてまかせっきりになってしまったことへの後悔の念が言葉にされました。すると娘さんは、「お父さん、私が赤ちゃんだった頃お風呂に入れてくれたんだ。そんなこと知らなかったわ。ありがとうね」と口を開きました。二人の間では、もうそれだけで充分だったようです。娘さんはそれからFさんが亡くなるまでの間に子どもをつれて3回ほど面会に来ました。
Fさんが亡くなって1周期の法要の席で、奥さんは、あの時娘と夫が和解してくれて一番ほっとして嬉しかったのは私かもしれないと漏らしました。孫娘は、「おじいちゃんが死んでから、お母さんはすごく優しくなったよ」と言いました。
井上ウィマラ
育児とグリーフケア 内藤いづみ(復)
ウィマラさんと書簡をやりとりすることになり、とても嬉しく思っています。確か数年前に、ある出版社の編集者が
「山梨にこんなおもしろい?活動をしている人物がいますよ。」
と言って、ウィマラさんの本を紹介してくれたのが始まりです。
その本は“瞑想”に関するもので、正直言って少し難しくて、本好きの私が読み通せませんでした。やや専門的な本でしたね。しかし、とても大切なことに触れている本でした。
増穂町という、私のふるさと(旧 六郷町)の隣町出身であること。私の子供たちが通っている山梨県立甲府第一高校出身であることから、ウィマラさんに親近感を持ちました。“ウィマラ”という不思議な名前については、次回、由来などを教えて下さい。
私は20年近く“ホスピスケア”についての社会的発言をするのと同時に、在宅でがん患者さんが最期まで過ごすお手伝いをしてきました。ホスピスという言葉も広く知られるようになりました。今や国が、全面的に在宅ホスピスケアを推進する方針を採って(これにはいくつかの現実的な理由もあります)些か大きな顔が出来ますが、甲府で15年前に「ホスピス」を口に出した時の医師たちの反応ときたら、“変人、奇人”を見る目つきでした。先輩の女医さんからは、
「内藤さん、それは医者の仕事ではないよ。絶望で崖に佇む人を、勢いをつけて突き落とすような行為だ。」
とまで言われました。当時内科では、がん告知が多くない時代でした。今や告知が大原則となり、何と世の中は変わったのでしょうか―。
今回のテーマ「悲しむ力と育む力」はとてもいいですね。看取りという、いのちの最期を支える仕事をしている私たちにとって、いのちの最初も同時にとても大切なことに感じています。
誕生も死も、点のように突然起きる出来事ではなく、ゆっくりと時間をかけて経過するいのちの営みのひとつの結果であるからです。誕生はその後の育児へ、死はその後、残された者への悲しみ(グリーフケア)へ繋がっていきます。
死(看取り)だけが豊かに成り立っている社会は在り得ない。看取りと共に、誕生といのちを育む力も一緒に豊かでなければ、いのちは輝かないと思うこの頃です。
がんになり、自分の限られたいのちを切実に感じながら生きていくこと。死を想う(メメント・モリ)ことの少ない現代日本を眺めてみると、がんと共に生きていくことは大きな試練です。
しかし、私の出会った患者さん方のお顔は、日ごとにその輪郭をくっきりとさせ、凛々しく、そして力まず、自然なやわらかな表情になっていきました。恐れを乗り越えていく力を私たちや家族の皆が教わりました。
ホスピスケアは、病気だけでなく、病人、そしてその人の人生に向かい合うケア。だからこそそこには当然、人生にとって重要な家族の存在が浮き彫りになるのですね。
私的なことを申し上げると、私の父は私が16歳の冬のある晩、夕飯を食べながら脳卒中で倒れ、明け方には帰らぬ人となりました。それは突然死と呼んでいいほどあっけない最期でした。
今思い出そうとしても、その後のお葬式のことなど、私の記憶からは抜け落ちています。それほどの大きなショックでした。3ヶ月程は悲しむことも出来ませんでした。
その頃は一瞬、日常生活の中に父の影を見た気さえしました。100日が過ぎた頃、悲しみが襲ってきました。毎晩ふとんの中で号泣しました。私と弟を育てるために、必死で働く母にそのことは言えませんでした。
もしその時、それを話せる専門家が傍にいてくれたら・・・と思ったりします。だから、決して比べることは出来ないけれど、人生の課題(ウィマラさんは5つの課題とおっしゃってますね)をやり遂げて、家族との絆を取り戻せる時間があるがん患者さん方は、父のような突然死と比べてお幸せだなと思うこともあるのです。
さて、「スピリチュアルケア」とは何ですか?
「ファシリテート」「チャプレン」って何?という質問が、若い方から届いています。英語が堪能なウィマラさんですが、この書簡の読者は10歳から92歳まで・・・ということをお忘れなく、お答え下さい。