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英国移住でホスピスを知る

2021年7月30日山梨新報「私の道 女性奮闘記」より。

在宅ホスピス医として、これまで4000人以上の命の時間に寄り添ってきた「ふじ内科クリニック」院長の内藤いづみさん(65)。
午前中は外来の診療、午後は往診に出向き、患者やその家族と向き合っているが、「感染症拡大で外との接点が減り、特に施設にいる患者さんは心も体も弱っている人が増えた。連絡が来たら24時間、いつでも飛んでいく」と話す。

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六郷町(現市川三郷町)出身。山梨大付属中に入学後、14歳で「人を知るには、医者が一番」と決意し、甲府南高理数科に進学。自宅から電車で往復8時間かけて通学したという。
高校卒業後、福島県立医科大に進学した内藤さんは、同大に見学に訪れていたイギリス人男性と出会った。英語に堪能な内藤さんが通訳や案内などをしたことで仲良くなり、結婚。1986年に英国に移住した。
英国では、ホスピスを立ち上げる運動が各地で起きていた。内藤さんは、ボランティアとして英国の現場を経験。モルヒネを服用し、痛みを緩和して自分らしく笑顔で日常生活を送るがん患者を目の当たりにした。
一方、当時日本でホスピス医療はほとんど知られておらず、病院で最期を迎えることが普通だった。
「日本にも伝えたい」という思いが深まった内藤さんは91年に帰国。講演会を各地で開きながら、95年にふじ内科クリニックを開業した。
特に印象的だった患者がいる。「定年退職したら故郷の山梨に戻って、妻と一緒に大根を育てたい」。そんな夢を持ち東京で働いていた男性は、定年退職直前にがんが発覚。内藤さんが往診し、緩和ケアを受けながら闘病するが、宣告されていた余命をはるかに越えて生き、夢をかなえた。大根を収穫して悠々自適に過ごしていたがある日、危篤状態に。
「ついにその時がきた」と内藤さんや家族も覚悟したが、死に際に娘が男性の大好きだった酒で口元を濡らすと、酒を飲み込み目を覚ました。男性は「三途の川を見た」が「酒が飲みたくて戻ってきた」と話したという。その1週間後に息を引き取ったが「人は死を前にしたとき、特別なことはなくとも、のんびりと背伸びせずに過ごせればそれでいいと考えるのかもしれない。それでも皆、彼のように何物にも代えがたいその人だけの願いを持っている」と内藤さんは語る。
内藤さんの”道”には、両親からの教えが欠かせないという。父は戦後すぐに男女共同参画社会を提言していた教育者だったため、当時は医者という職業も男性社会で女性差別があったが意に介さなかったそうだ。
60歳を過ぎて、心身の疲労もたまってきた。それでも内藤さんは、「心身のバランスを調整しながら、細く、長く、続けていきたい」と決意を語る。往診では、患者の自宅で、人それぞれの”文化”に触れることになる。「患者さんの文化という一つの宇宙に携われることが私の奮闘記」と話した。