医療制度改革はもっと現場の声を聞くべき
介護新時代の情報誌「ベターケア」第38号インタビューより抜粋
医療制度改革はもっと現場の声を聞くべき
国は、在宅医療・介護への傾斜を強めようとしているようですが。
このところ伝えられる一連の医療制度改革の動きは、内容を詰めてその結果として医療費削減が達成されるというよりは、当初の目的自体が医療費削減になっているように感じます。しつかりした調査をしたり、現場の声を聞いたり、変更に伴う受け皿を十分に検討することなく、制度を変更してしまう。そのくせ、リハビリテーションの日数制限緩和など、現場や患者からの抗議を受けると猫の目のように制度を改定する。こうした状態に振り回されないためには、しつかりと自分の足元を見つめるしかないと思います。
私自身は、開業の当初から公的制度にない在宅ホスピスを掲げ、自分の道を進んできましたから、今後も信じることをやり続けるほかはないと思っています。
24時間体制の訪問診療や看護の可能な体制を整えた開業医の診療報酬を引き上げ、地域の診療所と、専門的な外来と入院を担当する病院とのすみわけを図るかたちを検討しているようです。
イギリス型の医療システムをモデルにしていると思います。イギリスでは4~5人の医師が一つの診療所にいますが、日本ではひとりで診療所を開いている医師が多いので、まず、開業医同士が地域の中でどうのようにネットワークを組めるかが問題になります。しかし、厚生労働省が事前にこのシステムを担う医師たちの意向をきちんと聞いたのかどうか、疑問です。
在宅医療を担う診療所の医師は、24時間のオンコール(相談や往診に応じる体制)で、外来、訪問診療、看取りまで行う。また緊急入院先を確保して、介護との連携もとるというようなネットワークの要の役割もある、というのですね。私自身は従来からやっていることですから困りませんが、多くの医師にとっては大変だと思います。
さらに、日本では従来、患者が好きな医療機関を選べるというフリーアクセスの制度でしたが、今後はまず、地域の診療所に行って、そこの医師が必要と認めなければ大病院には行かれなくなるという案ですね。国民にその理解を求める努力も必要になりますね。
難しい地域内のネットワーク
日常の診療体制などを敢えてください。
基本的に、日曜日と火曜日が休診、診療日は、午前中は外来診療、午後は往診。在宅ホスピスの方を3~4人は抱えています。これ以上は対応が難しい。この方々からは、24時間どんなときでも連絡がつくように、常に携帯電話を放しません。
私の診療所の常勤の看護師が訪問看護をしていた時期もありますが、ホスピスは訪問着護ステーションにかなりの数の看護師がいる状態でないと、精神的にも肉体的にもストレスがかかり、続かなくなります。いまは、私の考え方を理解してくださるいくつかの訪問看護ステーションとそれぞれ、チームを組んでいます。基本的に患者のお住まいに近いステーションと連携します。
病院との連携はいかがですか。
私はもう、12年も在宅診療を続けていて、どういうことをしているか知っているはずだと思うのですが、病院の医師の反応も鈍いですね。先日も、40代のお母さんが進行がんになったのですが、その方の支えが、子どもの小学校の卒業式と中学校の入学式に出席するということでした。そのためには輸血が必要と判断して病院の担当医にお願いし、1、2泊の入院をすることになりました。その間も、痛みをコントロールする緩和ケアは私が引き続き担当することにしていたのですが、2泊3日の入院中に、それまで使っていた経口のモルヒネ系の薬を、無断で貼り薬に変えられました。専門的になりますが、モルヒネ系の薬は、文字通りさじ加減が難しい。まして決まった日にちに体調を万全にもっていく必要があるこの患者さんの場合、作用に個人差も大きく細かい吸収量のコントロールができない貼り薬では、難しい。変えたその日から痛みが出たのですが、病院の医師は24時間オンコ-ルではないので、私に退院直後から連絡が来ました。聞いてみると別に経口の薬で吐くなどの不具合があったわけでもなく、「貼るほうが楽だ」という理由で変えられたというのです。
この場合、痛みのコントロールは難しいのです。冷や汗をかきながら何回も電話で指示をして、どうにか痛みを抑えました。うまくいって私がどんなに安心したか、患者さんにはわからないと思います。
ただ、どうしても病院の医師のしたことが理解できない。なぜ変えたのですかと、病院にファクスを送りました。本人にも上司にも都合3回、回答をくれと連絡しましたが、結局なしのつぶてでした。2日後に子どもの入学式があることを、そしてそれが本人の生きる意欲にとってどれほど大事かをきちんと説明したので、知っていたはずなのに、なぜこの時期に薬の変更などしたのか。するなら緩和ケアを担当する私になぜ、連絡をくれなかったのか。私の疑問は完全に無視されました。
相手の医師は、女性でした。性に関係なく、組織の中にいると病気しか見えず、患者さんの暮らしなど見えないのかもしれない。でも、これでは診療所と病院の連携など、できません。私たち開業医が、細分化されたスペシャリスト集団との架け橋にならないと、結局困るのは病んだ人ということになりかねません。
それは、個々の医師の問題でしょうか。
組織のなかでの個人の責任でもありますが、もう一つは組織自体の問題でもあります。たとえば、公立の立派な病院があり、地域医療の中心として機能してくれるだろうとの期待が高いのですが、院長も事務長も数年で変ってしまうし、赤字になっても地元の人たちが困っても、誰も責任は取らない。そういう仕組みです。ある医師たちの勤務は毎日ではないので、緊急で入院させたい病人がいても、「担当医がいない曜日なので、受けられません」と平気で断られます。危篤に近い末期の患者さんに、曜日を選んで入院しろというのでしょうか。あまりのことに、新聞に投書して院長に回答を求めたのですが、具体的な内容のない表面的な回答しかもらえませんでした。
隣接の長野県にある諏訪中央病院がとても頼りになったのですが、それは本当に病院が必要になったときに「いつでもどうぞ」といってくれたからです。
トップの鎌田實先生がその姿勢を貫いてくださったので、病院全体が機能して、支えてくれました。
生命の最初と最期の臨界点
高齢者にもがんが増えていますね。
高齢者の数が増えればがん患者の数も増えます。長寿がんとでもいうのでしょうか、90歳以上の方でもがん患者は増えています。そういう方にも、適切な対応をしないと安楽には過ごせないし、問題は多いです。というのは、高齢者施設やグループホームなどでの看取りが必要とされてきているからです。
しかし、大規模施設などで、トレーニンクを受けた職員がいれば対応できますが、単独型のグループホームなどでは、ひとり夜勤で夕-ミナルの方を看られるか、問題があります。その方にかかりきりになればほかの方に目が配れない。また、小規模の場合、職員体制からしても、看取りなどの専門的な研修を受ける時間さえ取れないのです。ですから、とくに認知症の方の場合、家族が泊り込むなり、きちんとした後見人をつけるなどしないと、ブラックボックスの中での看取りとなって、恐ろしいと思います。尊厳死の誓約などが、むしろ悪用されかねない怖さがあります。
最期のときの迎えかたはありますか
赤ちゃんを産むときには、これが臨界点、これを超えたら出産というときがありますね。それと同じで、ぎりぎりまで生き切ると、これ以上は生きられないという臨界点があるように思います。
新聞に紹介された私の患者さんの事例を紹介します。50代の大工さんで、肺がんで余命3か月とよその病院でいわれたのですが、結局2年、もちました。彼は病院で生命維持装置などをつけられることを非常に嫌っていましたので、私が、看取りの自信がないという奥さんを励まして、在宅の暮らしを続けてもらいました。男前の人で、診察に来るときはひげもあたって、パリッとして来ます。亡くなる3日前まで好きなパチンコに行き、人前ではみっともないと、車の中においた酸素を吸入しながら、パチンコをしていたようです。ターミナルが近いかなと感じたので、自宅の地図を描いてもらった翌日、電話で苦しいといってきました。
でも本人は絶対に病院は嫌だというので私が往診に行き、あっという間の最期でした。本人は精一杯生き切って、周囲は一生懸命支えて、その方の命の声に寄りそって最期を迎えることができました。それは、もちろん、家族にとってはとても大変なことではあるのですが、こうした命に寄りそうということを学ぶことが、とても大事なことだと思います。一般の医師もー度はこうした看取りを体験することが必要だと思います。
最近、ホスピスや緩和ケアをうたう医療機関が増えてきました。
痛みをとること、安楽にすることを重視しすぎると、「苦しい」という訴えに対して簡単に薬で眠らせてしまうということが起こります。患者さんのほうも、ホスピスへ行くことはもう、治療不能だという熔印としてとらえる方もいます。でも、そうじやないでしょう?がんという病気になり、最新の治療で治る人も、治らない進行期を迎える人もいる。それでも静かに、穏やかに、その方らしい日常のときを過ごし、笑って周囲の方に「さよなら」をいえる、そんな最期の迎えかたをお手伝いする、それが私たちの在宅ホスピスだと思っています。そのためには、無用な痛みはできるだけ取り除きます。痛みや吐き気などがあっては、何も考えられない。大事な時間なのに、痛みだけに占領されてしまっては困る。それを取り除いて、短い残りの人生だからこそ、生きる意味を感じて生きていただきたい。あるいは、気がかりを解決できるようにしてあげたい。それを精一杯支えるご家族にも、私たちにも、亡くなっていく方がメッセージを残してくださる。それを受け取った家族は、絆を取り戻したり、生きる意味を再確認したりする。それがホスピスの意味ではないかと思っているのです。
私はいま、(財)山梨県青少年協会の理事長を引き受けています。一昨年、教育委員長になったときは、組織のもつ力、行政の堅固な「変らなさ」に絶望的な戦いをして病気にまでなりましたが、それなりの成果はあったと思います。
今度は八ヶ岳の自然の家をはじめとした青少年のための施設運営をとおして、心身ともに健全な青少年の育成を図ることが目標です。
未来に生きる子どもたちに「いのち」のリレーができるといいなと思っているのです。「いのち」は最期まで、生きようとします。最期を迎えてもなお、生きようとします。ホスピスで出会ったたくさんの方々の最期を看取りながら感じてきたことです。それを大切に伝えていきたいですね。