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人生は有限、終わりから考える

倫風2019年11月号より

誰もがいつかは迎える命の終わり。できれば「悔いなき人生」でありたいものです。「よく死ぬことはよく生きること」といいます。また死に方にはその人の生き方が出るともいいます。多くの人の最期を看取ってきた内藤さんに、後悔を残さない人生についてうかがいました。

内科医の内藤いづみさんは、長年、山梨県の甲府市でたくさんの患者さんの最期を看取ってきた。
時代に先駆けて、在宅の終末期医療(緩和ケア・ホスピスケア)を30年以上も続けている。
後悔のない最期を迎えるためにはどうすればいいのか。内藤さんは自身の経験を踏まえてこうアドバイスする。
「ある程度歳を取ったなら、自分が困った時に何でも相談できる友人のような存在がいると心強いですね。『人生の最終章の友人』とでも言うべき存在です。それは、ケアマネジャーでも、看護師でも、あるいは私のような医者でもいいのです。
実際に私は患者さんと友人関係になることもあります」
内藤さんは「準備なくして勝利なし」という言葉が好きだという。どんな場面でも準備は必要、ましてや人生の締めくくりの時に何の準備もなければ、本人はもとより遺された家族も途方に暮れるかもしれない。
「勝利かどうかはともかく、準備をしないと自分の求める状況は得られないということです。例えば私の場合、講演などの地方出張でホテルに宿泊する時は、いつもそのまま避難所に行ける服装で過ごしています。いつ地震や災害が起こるかはわからないからです。とはいえ、災害は起こる可能性が低いですが、人生の最期、死は100パーセントやってきます。それに対して皆さん、準備をしなさすぎでは?と感じることもあります」
備えあれば憂えなし、というわけだ。

内藤さんが看取ってきたたくさんの患者さんの中に、後悔したまま亡くなったり、〈残念な最期だった〉と思わずにいられない人はいなかったのだろうか。
「私たちが最後までしっかり看取ることができた方々に関しては、後悔を残したり、残念な最期だったという人はほとんどいませんでした。
ただ、家族間の意見の衝突や相違によって、私たちの在宅診療から離れていったケースでは、その後の風の便りで患者さんが望んでいなかったような亡くなり方をしたと聞くことがあります。そうした時は私自身、非常に残念に思いますね」

自宅で最期を迎えるという選択
終末期の患者をケアする緩和ケアの役割は、〃四つの痛み〃を取り除き、患者の人生の質を上げることだ。痛みには身体的、心理的、社会的、スピリチュアル(霊性)的な側面があるという。心と体は表裏一体で、どちらかが不調ならすぐに影響する。だから、がんなどの痛みは薬などで緩和してコントロールする。社会的とは、人と人の関係、絆ということ。家族や友達、近所など病を抱えていても関係が断絶することなく、自分らしく絆を保ち続けることが大切だと内藤さんは言う。そしてスピリチュアルペインとは、人生の価値や死の序く意味を問い直す包括的な痛みのことだ。
「「なぜ自分が死ななければならないのか」『死ぬことが怖い』などの怒りや恐怖などの感情、すなわちスピリチュアルペインを、いきなり癒すのはほぼ不可能なことです。それよりも、体と心の痛みを取り除くことが先決。これは最優先のことで、その上で、自分と他者の絆に気付き、見直し、別れの準備を進めていく。こういう人に神を呪うような、人生を放棄したような人はまずいません」
そして緩和ケアには、大きく分けて病院と在宅がある。今でこそ高齢者が多く病床数が足らないため、緩和ケアも在宅が多くなってきた。しかし、昔から「人生の最期は病院ではなく自宅で」と望む人は多かった。内藤さんはそれを叶える先駆けのような存在だ。
この夏、内藤さんは20年来の患者である神経性の難病を患う80歳近くの男性Sさんを看取った。
「ある日、容体が急変して救急車で病院へ。急性腎不全だったらしいのですが、その後、担当医が『透析をしないと命の保証はないですよ』と言ってもSさんは断固拒否。家族もそれを受け入れて自宅で看ることになりました。Sさんに話を聞くと『先生、俺は病院にはいたくない。仲間がいないし、仕事もできない』と言います。つまり彼にとって病院には『絆』も自分の『居場所』もないという。私は介護保険の手配などケアマネジャーのような役割もして、5日間ほど集中して診ていました」
やがてSさんは息を引き取ったが、まだ小学生の孫娘2人が添い寝したり、家族一丸の看病を受けて、最期はとても安らかだったという。
「Sさんにとっては、家で最期を迎えるのが幸せだったのでしょう。実際にそこには彼の家族がて、横になっている側で孫が勉強をしたり、親せきや友達が訪れたり。絆の要素が全部彼の家にあったんですね。何日か経って、近所なので奥さんにばったり会って立ち話をしました。『先生、ありがとうございました。あの人の思いを叶えてあげら
れた。あの人も、そして私たち家族にも後悔はありません』という言葉をいただきました」

見えない未来よりも「今を生きる」
このように、人生の最期には、選択と準備が欠かせない。ただ、一方で内藤さんはこんなふうに語った。
「先ほども申し上げたように、確かに準備は大切です。しかし、今はちょっと行き過ぎているように感じますね。私は『終活』もあまり熱心にやりすぎるのはどうかと思うのです。何だか『健康のためなら死んでもいい』という極端な考え方と同根の倒錯があるような気がします。最期は確かにいつか来る未来ですが、大切なのは生きている今でしょう。今を大切にできなければ、いくら将来に備えても悔いのない人生は送れないし、悔いのない最期は迎えられません」
人生に後悔を残さないコツは、生きている現在を無駄にせず大切にすること。そのためには、先に挙げた四つの痛みから解放されていなければならない。心身が健やかで(病があっても上手に付き合って)、社会とのつながりを持ち(家族、友人や仕事など)、スピリチュアルな充足感を得ていること。内藤さんによれば、スピリチュアルとは、怪しいモノではなく、難しく考えることもない。
大自然、例えば広大な海や大地、月や星に感動し、自分をちっぽけな存在だと思える心。逆に道端の花にハツとして感動する心。誰しも子供の頃には持っていた感覚であり、それを取り戻すことが大切だという。

幸せは一歩一歩
同じ条件・境遇でも笑顔の人がいれば、しかめっ面の人もいる。重い病を患っていても同様だ。
「人生の後悔にはいろいろなパターンがあるでしょうね。それこそ人生は千差万別ですから。でも、後悔する人の特徴はただ一つ、過去に振り回されていることではないでしょうか。もう動かしようのない過去を振り返って、『あの時、AではなくBを選択しておけばよかった』などと言うのです。でも、今が幸せな人は、そんなこと考えません」
現状に不満があって受け入れられないから過去をほじくる。するとそこから動けなくなってしまう。目の前の幸せに心が向かわなくなる。そして後悔一色になってしまう。
「人生の正解など、誰にもわからないものです。『あの時Bにしていれば……』と嘆くのではなく、Aを選んだ自分を尊重すること。苦しいことや失敗があっても、それはいつか経験となり財産となるかもしれません。今ここにいること、生きていることに意味があるのです。後悔の多い方には、それをまず肯定していただきたいと、心から思います」
では、内藤さんには人生の後悔はないのだろうか。
「私は割と自由にやってきました。医療のメインストリームではなく、自分の道を進んできたと思います。組織にいたら上部の頭痛のタネになったでしょうね(笑)。後悔はないです。それよりも、今後も患者さんの心身の痛みや社会的な苦しみを解放する、「解放者」として生きていきたいと思います」