大正大学にて 2019年7月23日の前期最終回
青年僧たちへの先輩からのメッセージ。松本市にある神宮寺の元住職、高橋卓志さん。
2019年7月23日前期の授業の最終回。
類い稀な哲学、理解力、行動力の活動の歴史に触れたお話に生徒たちはかなりびっくりしたと思う。
生きている、生き抜く人、残された人、を支える活動の様子。
お話を聞きながら、私は死にゆく人のあの世への産婆役かもしれないなあ~
と再確認できました。
終了後新宿で美味しいビールを飲んで嬉しそうな私たちです。
夏は盛りへ!
みなさま良き夏をお送りください。
~参加ご感想(滝野さんのフェイスブックより)~
本日は、甲府の在宅ホスピス医師の内藤いづみ先生が大正大学で持っている講義に、長野・神宮寺の住職だった高橋卓志さんが特別に呼ばれ、対談まですると聞いて、午前中から聴いてきました。とっても良かったです。
いやいや、在宅緩和ケア界の異端児(笑)と、お寺の葬儀改革の最先端を行くこれまた異端児(大笑)の対談ですからね。僧侶を目指す学生だけに聴かせるんじゃもったいない内容でした。なんといっても、お二人とも「現場」に生きてますから。日々、是実践ですから。話が深いのなんのって。
私、へんな話、この二人の対談に、いくらお金を払うかなあって考えていました。結論は4500円くらいはすぐに出します。5000円だと考えますけど、行くでしょう。それくらいの内容でした。
すごい言葉の数々で、コラムにも入りきれないくらいの内容があるのですが、ひとつだけ話すと、高橋さんは坊さんの役割を「死のドゥーラ」と言いました。産婆さんのことです。人は本来、生きたまま死んでいく。日常をつなげたまま、きのうと同じ今日があって、そこをただ支えていくのが僧侶なんだって。きのうと違う明日があるというのは成長神話で、本来の死とは違うのだと。
そしたら、内藤先生も最近は、産婆さんとお付き合いして、みとりの姿とお産は似ている、なんて言いだして。お産は本来は、「生み落とした」あとは、母子が暗いところにつれていたかれて暗所で2人で静かなときを過ごすと。それが自然なんだと。死も同じ。同じはずなのに、最近の死の現場は明るくウルサイ場所になってなってしまっていると。
「私の患者さんなんか、絶対、ICUでは死にたくないっていうんです。あんな明るくてピーピー騒々しい場所で、死ぬなんて考えただけでもイヤ、って」
高橋さんは、若い僧侶の卵たちに、固定概念を疑え、既成概念を揺さぶれ、とはっぱをかけていました。医師も僧侶も、死に前では「当たり前」となっていることを疑って、本当にその人と遺族の側に立たなきゃと。それを本当に実践しているお2人の話は、まことに泣かせてもらい、笑わせてもらい、楽しい充実した時間でした。まあ、6000円くらい出してもいいか!
とある民放が、内藤先生をおっかけてました。有名な番組です。秋ごろ、放映される予定だと。NHKの「プロフェッショナル」で有名な高橋さんと、似た民放の番組に出る内藤先生。いやー、とっても充実した時間でした。お2人、そのあと、新宿でビールだったそうです。付いて行けばよかった。残念。