鎌田實の一日一冊より
鎌田實先生の「日刊:鎌田實」に掲載されました「いのちのレッスン」のお話、ご紹介します。
『往復書簡 いのちのレッスン』(内藤いづみ、米沢慧 雲母書房、1680円)
親友・内藤いづみ先生のホームページで交わされた往復書簡が、一冊の本になった。
キューブラー・ロスのことや写真家岡村昭彦の評価を通しながら、いのちとは何か、深く語り合われている。
読み応えのある、なかなか刺激的な本である。
米沢慧が内藤いづみに送った最後の手紙のなかに、わが師、三木成夫のことが書かれていて、さらにぐっとひきつけられた。
解剖学者の三木先生は、心臓は植物的営み、脳は動物的営みと考えた。Photo
動物的営みである脳は、人間の精神あるいは理性を象徴するものだということ。
植物的営みである心臓は、人の心、あるいは人の心情と切り離せないこと。
『「二つの器官が互いに依存しあって、はじめて人間を主張することになります。
ところが人の体は進化の過程で、脳がどんどん肥大化してしまい、二つの勢力の均衡が崩れ、生の中心がしだいに心臓から脳に移行していった」と三木先生は語っている。
頭が心の声を聞くことをやめ、ロゴス中心の思考にうつっていったということです。
つまり、動物・植物両器官のもつ本来の双極的な命のかかわり方が、支配と被支配の主従関係になっていたということです。
ですから、人間としての精神の病は、いのちのあり方としての矛盾、宿命として、現象するようになったといえます』
そうなんだ、三木先生はこういうことをおっしゃっていた。
心臓は植物的な存在で、人の心情と切り離せない。
最近の脳科学者は、脳と心は一緒であるという言い方をするが、三木先生は脳は動物的な営みで精神あるいは理性を象徴する。理性と心情を分けようとしている。
三木先生の著書『胎児の世界』を読むと、生命の発生学的に、心臓が植物的な存在であることがよくわかってくる。
米沢さんが、三木先生の話をこの時代に持ち出してきたことには、たいへんオドロキでもあり、うれしくもあった。
いい本です。