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ひとり暮らしの時代。

寄り添える仲間を
つくっておきましょう。
(いきいき2009年8月号より抜粋)
「いきいき」の読者であり、在宅ホスピス医として20年近く往診を続けている医師の内藤いづみさんは、自宅での最期を希望する人を看取る中で、いま、変化を感じています。


090722_ikiiki.jpg「家で息を引き取りたいと願っても、家に家族がいない時代になりました。相手のことを見て、心を通わせ、寄り添う関係を家族以外にも築いていくことが、命を支え合うネットワークになります」と語ります。
命の最終段階に立ち合うことは、命を知ること。
「いきいき」では1998年3月号から、在宅ホスピス医・内藤いづみさんの活動についてお伝えしてきました。
 今月号では、特集(12頁~)に合わせて、いま在宅ホスピスの現場で見えることを聞きました。
 私は山梨県の甲府市に住んでいます。在宅ホスピス医として往診にうかがうと、一見、患者さんの息子さんや娘さんのような方がいるのですが、実はケアマネージャーやヘルパーという場合がほとんどです。子どもたちはよそで暮らしていることが多いのです。
 余命が限られたがん患者さんの場合、モルヒネを使うか、点滴をするか、胃に穴を開けるかなど、治療にもデリケートな部分がありますので、他人では意思確認ができません。本人が認知症の場合には本人にも聞けないんです。
 そうなると身内の存在が必要になります。在宅ホスピスケアの場合、大体最後の1か月は身内の人、身内がいない場合は後見人に患者に密着してもらうことが前擬です。家族が、命の最終段階に立ち合うことが命について知り、学ぶ機会になると思っています。また、必要以上に私たちが患者さんと親密な問わりかたをすると、家族の部分を背負わなければなりません。そうなると、最期を看取ることが家族が命について知る場とは違ってくるんじゃないか、という思いがあります。
 患者さんのからだや心の変化は、いつも見ていないどわかりません。そういうことに気づき合える距離にいないから、「なんで手遅れにしたんだ」など、医師と家族のあいだでトラブルが起こるのではないだろうかと思うんですよね。そういう問題はいま、日本中にあると思います。家族と暮らしていても本当に心が通い合って一つになっているかというと、そうではない場合もあるので、どうやって命に寄り添っていくかをみんなが考えていかないといけないと思っています。
 人間が生きることは、息を引き取る瞬間まで生きていたいという本能だと思うんです。その気持ちを支えることが大事で、でもやっぱりちょっと無理かもしれないっていう現実もしっかりふまえて、細やかな寄り添いかたをしていかないといけないと思います。
家族や制度を超えた伸問と支え合う。
 いま、私がお伝えしたいのは、友人であり隣人であり、助けてくれる本気の付き合いができる仲間を元気なうちにつくつておくことです。やっぱり介護保険や医療制度を超えた仲間の力は大きいのです。とくに認知症の人は、ある期間を一緒に過ごさないと認知症とわからないことが多いですし。
 だから人生の最終章をどうやって生きていくのかは、人間対人問の関係をもう一度見つめなおして、命を支えるネットワークをつくることだと思います。
医療や介護保険は制度としてあり、ある範囲で力になってくれますけれども、それに加えて、助けてくれる友だちが5人いるとか、相手が困ったときには駆けつけるとか、そういう関係づくりが必要と思います。
 ある患者さんが家で寝たきりになって、もうからだも動かない状態でした。お子さんは家を出て夫婦二人暮らしなんです。
夫婦二人とも70代で、がんになったご主人は75歳で体も大きい方でした。息子さんたちは仕事があるから夜しか来られません。
 でも近所付き合いが濃厚な地域で、奥さまが銭湯に行くときは「おーい」って声をかけると、隣のおばさんがその家に来るんです。そして1時間くらいご主人に付き添ってくれる。その奥さんが疲れているようなときは、「私が隣にいてあげるよ」と言って休ませてくれたりします。
 そういう隣人のネットワークをそのご夫婦は昔からつくつていたので、その力で最後まで家で過ごせたんです。そういうことができるのもふだんの人付き合いからだと思います。
患者を自宅で看取ったあとの家族との関係。
 私たちの仕事では患者さんが亡くなったあと、そのご家族との結び付きが細く長く続くことがよくあります。私が何かの研究会とか交流会をするにあたって、ボランティアとして協力してもらうこともありますし、運営の幹部になってもらうこともあります。
 私がイギリスへの留学から帰ってきたばかりのころに出会った、当時45歳の末期がんの男性がいます。15歳だった高校生の娘さんがピアニストになっていて、今度私の講演会に一緒に出てくれるんです。そんな命の循環のような関係が続くんですね。何年たっても縁が切れずに、はがきを出して「元気ですよ」って伝えたり、「私の講演会に来てください」って言ったり。
仕事をはじめて最初に大学病院で出会った女の子の家族とも付き合っています。患者さんの最期のときに一緒にがんばったことを、一生忘れないようにしたいと思います。
 医師によっては、そういうことには関係せず、常に目の前の人を救うことに取り組む方もいらっしやるだろうと思います。
でも私の場合は、多くない患者さんとたっぷりお付き合いする、そういう接しかたをする医師でありたいと考えています。
 「先生は私たちが初めて出会ったころからずっと同じことをしているね」と、亡くなった患者さんのご家族とひさしぶりに会うとほめてくれることがあります(笑)。「こんな若い先生の言葉にのせられて、娘を家に連れて帰ってきたけれども、だいじょうぶかな」と、当時はご家族も思ったでしょうけれども、「いま思えば、助からない命を家で看取ることができて幸せだったのかな」とも考えられるようになっているのだと思います。
 でもそのときは命を救いたいし、1%でも可能性があればそれにかけたいし、家で看取ることが必ずしも幸せだと思っていたわけではありません。20年がたって、短い人生だったけれども、最後に家でみんなと一緒に過ごせたということは幸せだったなって、患者さんのお父さんやお母さんが、人生の最終章になって感じていただけたことはよかったなと思います。
〝幸せな最期″って言葉では言えるけれども、実現に向かうには努力が必要だし、看取った時点ではそういう感謝の言葉をいただけないかもしれない。こちらも「大変だったね」としか言えない。人をひとり失うわけだから、「幸せだったね」と、そのときは言えないですよね。その人の命が終わったあとも、その人の人生について家族は語り合うわけですから。
 山登りだって頂上に行くと「あー、よかったなあ」って思うけれども、途中は苦しいですよね。もうやめたいと思うこともあります。そういうことも含めて、家で死ぬということを極端に美化せず、現実としてつらいときもあるし、やめたいときもあるけれども、達成したときにはよかったなと思える可能性が大きいもの、ととらえるのがいいと思うんです。在宅ホスピスの現場で見えてくる幸せというのは、結果よりもプロセスにあるのかなと思います。
 だから、山登りが終わって、みんなではあと一息ついて、「なんとかがんばれたね」っていうのが、私たちの在宅ホスピスケアの区切りなので、幸せって周りから見た形や条件とはちょっと食い違うかもしれません。当事者も含めて、いまをどうやって一生懸命歩むかということ。そのためにも不安を消すことは大事なので、その準備はしたほうがいいと思います。