孤独への処方箋は?
(ひと休み村2008年8月号より
20世紀の偉人のひとりマザー・テレサは、
「愛の反対語は憎しみではなく、相手を無視すること(無関心)だ」
とおっしゃっています。
「人を一番つらくさせるのは孤独である」とも。
30年近く前の研修医の頃のことを、私は今でも時々思い出します。当時はがんの告知はほとんど行われていませんでした。
「告知をどうしますか?」
とご家族に問うと、ほとんどの方が
「そんなことをしたら命を縮めます。やめて下さい。うそをつき通すのが私たちの愛情です」
と答えられました。病状が深刻になれば、ご本人も薄々がんではないか、と疑いながら互いによそよそしい雰囲気の中で過ごしていました。
研修で、末期がんの70代のご婦人の受け持ちになりました。ある日、静かな個室に、勇気を出してひとりで入って行きました。痩せ細ったその方は24時間点滴に繋がれ、白い壁を向いて、具合悪そうにじっと横たわっていました。
「おかげんいかがですか?」
と問いかけても、背中を見せたまま何の反応もありませんでした。相手を拒絶した静寂がその空間を支配していました。今までの検査やつらい治療、そしてこれから迎える死。それを想像して私は
「おつらかったですね」
と思わず言葉にしてしまったのです。すると、その方はいきなりクルッとこちらを向き、私の目をじっと見つめ、オイオイと大声で泣き始めました。若い私は、何が起きたのか分からず立ちすくみました。しばらく泣いた後、その方はもう一度私の顔をじっと見ると、さっぱりした顔で
「ありがとう」
と言って下さったのです。何故お礼を言って下さったのか、その後私は長いこと悩みました。当時の医療者は、末期がんの患者さんの病室へ足が遠のきがちでした。何のお役にも立てないという敗北感が大きかったのです。結果的に末期がんの患者さんはどうなるのか分からない不安の中で、孤独な状況に置かれました。私は孤独な患者さんに何とかして近づきたかったのです。その思いが通じたのかもしれない、と後で感じたりしました。
そして、こういう患者さんたちが、本音を語り合い、家族や友人の温かい愛の中で人生を終えられるようになったらどんなに幸せだろう、と思えてなりませんでした。この体験が、私をホスピスケアの仕事の道に繋げたのかもしれません。
マザー・テレサはこうも語っています。
「この世には、肉体的、物質的な多くの苦しみがある。しかしもっと大きな苦しみは、誰も側にいてくれない、孤独で愛されていないことです。これこそが人類が経験することの中で最悪の病気です」
秋葉原での痛ましい事件は、これから多くの検証がなされることでしょうし、亡くなった方々には心よりご冥福を祈ることしかできません。あの日から苦しい思いをなさっている多くの関係者やご家族のつらいお気持ちを想像して胸が痛みます。犯人は許されざることをしました。しかし、異常なほど多い携帯サイトへの書き込みは、誰かに自分の存在を認めてほしいという叫びと共に、犯人の”孤独”を際立たせています。
もし、たとえばいのちの電話(03-3264-4343)に犯人が一度でも繋がって、彼の話に真剣に耳を傾けてくれる人と出会っていたら、あの凶行は違った形になっただろうかなどと考えてしまいました。
人と人とがいのちを持った温かな人間として向き合い、リアリティを持って繋がること。それが現代の日本社会で大切な課題になっていると痛切に感じます。