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最期のときを家族と 心はいつも患者さんと

 在宅患者さんを引き受けている限り、24時間、完全にフリーな気持ちにはなれない。心はいつねも患者さんと繋がっている。
責任の重さにつぶされず、付き合うコツを習得するのも在宅医の修業のひとつだ。しかし、多くのことが重なると、気弱にもなる。


 ある夕方、60代の患者さんが重体になり、バタバタしたが、何とか落ち着いた。遅い夕食を取っていると、緊急電話が入った。気丈に外来に通っていた肺がん末期の80代女性患者の家族からだ。彼女にはその朝、「次から往診に切り替えましょうか?」と声をかけてあった。半年間、様子を見てきて、体力的に限界に近づいていたからだ。
 家族によると、様子がおかしいとのこと。命の最期の時が近づいているようだった。大往生に近い形だ。私たちが手伝うし、家での看取りは怖くない、あと2~3日の頑張りだ、と家族に伝えた。
しかし、家庭の事情もあり、本人がどうしても入院を希望した。かかりつけの総合病院に受け入れてもらったときには、すでに夜中に近かった。ひと休みしようと、眠りについたら、今度は枕元の携帯電話が鳴った。午前2時。訪問看護師からだ。
 胃がん末期の三井春子さん(86)=仮名=が危篤だと言う。
一昨日の往診の時は落ち着いてニコニコしていた。急ぎ、顔を水で洗い、タクシーを呼んだ。厚着をして外に出ると満天の星が目に入った。タクシーの後部座席に身を沈めると、急に疲れが出てきた。「神様、もうこれ以上、私にはできません」などと心の中でつぶやきそうになったとき、「内藤先生ですよね?」と、その夜、初めて会ったはずの運転手さんに声をかけられた。
「数年前、先生の外来へ60代の女性患者さんを何度も送迎しました。重病らしかったけれど、元気で明るい方で『内藤先生がいてくれるから、私はその日まで安心し、で生き抜いていけるんです。ありがたい』と、感謝していましたよ」。ドキッとした。別の女性患者さんの顔が浮かんだ。口腔のがんと共存し、自分らしく生き抜いた人。
 いっぺんに目が覚めた。弱音を吐きそうになった私に「先生、ファイト!」と、天国からメッセージが届いたのだろうか。いのちの最期に向かい合うカを取り戻し、三井さんの玄関のドアを開けた。
2009年1月7日 産経新聞より抜粋