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最期のときを家族と いのちに向かい合う仕事

 大学の教養課程で「死生学」の講義をすると、聴講した若者の胸にいろいろな思いが浮かぶことがアンケート結果で分かる。


ある時、医学部の学生の1人から「将来はなるべく、命にかかわらない分野を選ぼうと思っていましたが、話を聴いて考えが変わりました。生と死について真剣に考えてみます」という感想を送られて、あぜんとし、心配になった。医学部に入り医者になることは、どの分野でも、人の生死にかかわる。そういう基本的な理解と覚悟を持たずに、入学してしまったのだろうか?
看護系学部の人気も高い。看護大学も増え、優秀な人材が未来のチーム医療のメンバーとして育つことを期待している。しかし、理科系中心の偏差値だけで生徒を医療の分野に送り出す受験の風潮は、もうこの辺で考え直した方がいいと思う。命にかかわる仕事を目指すなら、「人間が好き」「命を学びたい」という熱い思いが心の根底に強くあってほしい。こういう人の感性が育てば、苦しむ人、悩む人に共感を持って対応でき、言葉も態度も自然と温かなものになるはずだ。
15年ほど前、私に在宅ホスピスケアを依頼してくる方のほとんどに強い医療不信があった。「痛みを放置された」、「進行がん患者に、医師が冷たかった」「本人の前で『末期がんの人に何をしても無駄だ』といわれた」など。「死んでも二度とあの病院には行かない」という決意を示されると、私たちも病院の協力なしの背水の陣で在宅ケアを続けねばならず、緊張感が大きかった。今は大病院でも医療連携室があり、在宅医と病院の勤務医が協力しやすくなった。患者さんの医療不信の質も変わってきた。インターネットで医療情報を入手し、自分の治療を選択する自主性が育ってきたことも大きい。医師への過度の期待と信頼が減ったというべきか。最初からあきらめられているとしたら、少し悲しいが。
「神様ではない不完全な人間である医療者が、患者さんの命に謙虚に向き合い、最善を尽くす約束をするのです。人間のトータルペイン(体・心・社会・魂の痛み)を一生懸命、学び、自身の内外を鍛えるのですよ」
と、つい私の語調は力み、大学生に戸惑いが浮かぶ。若者たちに時につらいことがあっても、やりがいのある仕事ができるようにうになってもらいたいのだ。
2009年11月12日 産経新聞より抜粋