2015年1月31日読売新聞「伏流水」より
2015年1月31日読売新聞「伏流水」より(一部改訂)
90歳過ぎても何本も執筆連載を引き受けていた女流作家に、家族が「万が一のことがあると多くの方に迷惑をかけるから、この辺で止めた方がいい」と忠告したところ、毅然と「私は書き続ける。身の内から書きたいことが溢れ出る間は」と答えたという。そして、その言葉通り93歳まできちんと書き続け、見事な大往生で旅立ったと教えて頂いた。
この連載のタイトル「伏流水」は、こんこんと溢れ出す清らかな水のイメージと同時に、「溢れる思い」も私は連想する。そんな思いを書き留めてきた。
日本社会も世相も世界情勢も厳しい未来を予想させる事件が続く。見知らぬ世界のどこかの誰かのために、冥福を捧げたくなる。
6歳の頃から読むことと書くことが私は大好きだった。いつも私なりの溢れる思いがあった。それが、今回は「溢れる思い」が湧き出してこない。いささか焦って静かに振り返ってみた。私の中に何かが足りない。そうだ、読書だ!と思い至った。
10歳までには世界名作文学を読破し、三銃士のダルタニャンに憧れ、秘密の花園のメアリーとともにヨークシャーの荒野にワクワクした。中・高校の時は往復3時間の身延線通学で、年間300冊を読んだ。私は筋金入りの読書少女だったのだ。最近は本に没頭する時間がなかった。
年末年始に待望の上橋菜穂子さんの本を手に取った。
日本人は、世界で賞を取った人を急にチヤホヤする傾向があるので、児童文学のノーベル文学賞ともいわれるアンデルセン賞受賞のちまたの熱気に上橋さんがもみくちゃになりませんように、と祈りつつ読み始めた。
「狐笛のかなた」「精霊の守り人」・・・面白い。私の中の想像力に水々しさが戻ってきた。
文化人類学で世界中をフィールドワークした上橋さんの物語は、人類と神の起源も突き抜け、静かに私たちを巻き込んでいく。人と人、人と自然、人と動物は許し合うことができるのか。上橋さんの本が世界中で広く読まれるとしたら、人類の先にかすかな希望の灯が灯される気がした。
そして、私はいのちに向かい合うフィールドで、人類の希望を学んでいこうと改めて覚悟が湧いた。それが本年の私の溢れ出る決心でもある。