つかず離れず夫婦のチームワーク
あけぼの2006年10月号に掲載されました夫婦特集の記事、作新学院大学教授小林和男様との対談です。
小林 結婚は次の世代にいのちを残すことが前提になっていると思います。ところが最近は、結婚といのちを残すこととが別の話になっている。
内藤 恋愛の延長の結婚、そして自分たちの幸せが中心。とくにお母さんのほうに、まず自分、というのが強いようですね。私は、三人子どもがいて、一番上が今年ようやく大学に入り、だんだんに子どもから離れていきますが、教わったのは、キリスト教でいわれる犠牲のない愛はない、ということ。その犠牲はつらいものではなく、その気持ちがないと、子どもというあたらしいいのちを育てることは非常にむずかしいですね。
でも、子どもがいるから楽しめない、子どもがいて時間がないから自分のことができない……。まず自分の楽しみ、喜び、自分にとっての仕事が第一、という若いお母さんに出会うことが、最近は多くなりました。
小林 そうした風潮は何から生まれてきたんでしょうね。
内藤 物質何に恵まれすぎた育てられ方にあるのかなという感じはします。いつも自分にとって何が大事かを考え、何かを犠牲したり、我慢することを経験しないで、いつも望
みがかなってしまった。お金さえ出せば何かが得られる。その時代の延長かなというふうに思います。
小林 たしかに社会の状況、恵まれすぎてお金さえあれば何でもできる、ということがあるでしょうね。と同時に、私はメディアの世界で働いてきて、心の痛みを伴って見ているのは、メディアの役割です。メディアがあまりにも享楽と自分だけよければいいというものを垂れ流した。さらに最近のメディアにその反省が少しもない。
内藤 ますます俗悪になっている。(笑い)
小林 そこから生まれてきた社会事象、母親が子どもを殺すというとんでもないことが、興味本位に伝えられる。
虫 インターネット中心に情報が、歯止めをかけられないくらい子どもの前に出てくる。パンドラの箱のようです。大人が「ここはもう子どもの世界じゃない。見てはいけない、知らなくていい」と止めて、私たちの子どもの時代は歩めました。
今は五歳だろうが十歳だろうが、どんな情報も経済も性的なものも子どもの目にさらされています。
小林 今の時代でも歯止めになるのは、やはり家族でしょうー。ウィーンに三年間いて、これがヨーロッパの人たちの生活かと思ったことがありります。保守的と言えばそうですが、夜、子どもたちとご飯を食べながらテレビを見るなんて絶対ありえない。テレビを見るときは見る。話をするときは話をする。ぼくはその方式を日本に持ち込みました。帰国してテレビを買わなかった、テレビ局にいながら。しかし、残念をながらすぐに計画は潰れました。社宅だったので子どもはよそのうちに行って見る。(笑い)
でも少なくともテレビを見ながらの食事はなし、と。
内藤 私の家はテレビはあまり見ませんでした。両親は教師でしたが、辞めて商売をはじめ、朝から晩まで働いていました。ですから自分だけテレビを見るなんて考えられなかった。手伝うか勉強するか。テレビは習慣なので、見なければ全然面白くないですね。映画は好きなのでよく行きましたが。NHKラジオは今もお世話になっていて、夫もテレビが嫌いで、テレビをボックスと呼んで、書斎に置いてDVDを見たり。
小林 見る気になって見るものだけですね。
内藤 息子が小さいとき、テレビゲームがはやった時期がありました。
まったく禁止する家庭もありましたが、夫婦で話し合い、やりたいときにやらせなければ、友達の家でやるか、そういうものを卒業するときのめり込む。だからやらせることも大事だと夫が言って、時間制限でやらせました。息子は流行のものすべてをやつて、中学入学後はいっさいしませんでした。
小林 帰国して半年後にテレビを買いましたが、その時代の視聴者会議でお母さん方が選んだ子どもに見せたくない番組ワーストワンが「8時だよ、全員集合!」ぼくはそれを子どもに見せました。子どもってこれだけの感性があるんだと思ったのは、数か月後に育んだ、何回やってもみんな同じだよ、お父さん」それから見なくなりました。結婚は、そういう子どもの育て方を含めてすべてに責任を持つことですね。
内藤 私が夫との結婚を決めた理由の一つは、ユーモアでした。同じ映画を見て笑える。特にイギリス入時有のユーモア。ただイギリス人女性は男性がガハガハ笑うと、こんなくだらないことで笑って、と白い日で見るんです。私は婚約時代、けっこうくだらない言葉遊びや冗談にも笑っていましたから、義父が「いづみはぼくたちのユーモアを理解してくれる数少ない女性だ」(笑い)と気に入ってくれて。
小林 ロシアでの最大の侮辱は「あんたは真面目だ」と言われること。つまりユーモアを理解しないと思われることです。日本人はロシア人を非常に堅物で融通がきかなくてユーモアがないと思つていますがね。
内藤 日本人には理解できないんじやないですか。
夫婦のいい「距離」
小林 内藤さんは、いのちの始め、結婚から、最後に消えていくところまで面倒を見、敬意を払い、その流れを冷徹に生ききることを見てらっしゃる。
内藤 プロとしての距離感を見つけるまでが、私たちの一つの勉強だと思います。情熱的な看護婦さん、パッションのある方々は集中して非常にいい仕事ができますが、ないと、患者さんに近づきすぎて一緒に燃え尽きてしまいます。ホスピスケアの四つの柱は体の痛み、心の痛み、社会的な痛み、スピリチュアル・ペイン(魂の痛み)の緩和です。
二十年啓発活動してようやく日本社会でも体の痛みを綾和できる方向に動いています。家庭で看取るということは大変な仕事ですが、半歩近づくケアをするように看護師さんには言っています。その半歩で、温かい人間であってプロとして存在する。
小林 理性的に物事を判断していらっしゃる方のパートナーは幸せでしょうね。今のをうかがうと、ものすごく安心します。
内藤 苦労は別ですよ。二十年前は変人扱いでした。最先端の方法で命を救うのが医療者なのに、いのちの最期をどうやつてみるか、と言っているわけですから。だれも応援してくれないし、権威には所属していない。ほんとに一匹狼で、バッシングもあるし。そういう人を支えなければならないから、夫は大変だつたと思いますよ。イギリス人でよかった。
小林 知り合ったのはイギリスに留学されたときですか。
内藤 いえ日本で。大学生のときに接点があって、そのあと、夫も私も病名がつくくらい筆まめなんです。それでずっと文通していました。彼は油田のコンサルタントをしていて、世界中の地で働いていました。不思議なご縁ですよね。
小林 一緒に暮らそうとなつたのはイギリスに行ってからですか。
内藤 赴任が一区切りついて就職しなおして、スコットランドに行くことになりました。イギリス入って、プロポーズするのが世界で一番へたな人種らしいんですよ。
小林 彼の言葉は?
内藤 一緒に行ってください。私は旅行だと思ったんですよ。飛行機代いくら?と。そうしたらぼくが出すって、けちなイギリス人が。(笑い)これはなんだ?
小林 そのときは予感はあったわけですか。
内藤 それが唯一ですね。彼の同級生は結婚できていない人が多いんです。迫れなくて。
小林 娘の夫はイギリス人なんですよ。
内藤 よかった、プロポーズされて。シャイな人たちで感情を露わにしない。だからいつも落ちついて見える。
小林 じっと目の奥で見るような。
内藤 それでお父さんとお母さんに会ってくれと。でも私を連れていくことを言わずに行って、お母さんに、ぼくの未来の妻です、って紹介したんです。お母さん、紅茶ポットを落として、ガッチャーン。(笑い)
小林 うちの子ども三人には、もの心ついたときに言い渡しました。「早く出ていってくれよ」駆け落ち奨励、結婚式はめんどうだ、と。娘たちには、反対されないと駆け落ちにならないと言われて(笑い)楽しい結婚式をしました。結婚がうまくいくには、お互いのギブアンドテイクというか、心の通い合いがどこかでないと。
内藤 意味がないですよね。心の通い合い、お互いの支え合い、そして必要以上に相手に干渉しない、相手を支配しない。相手が大切で、自分の手の中の玉のように大事にしたり、相手を条件つけて息抜きができないぐらい支配したりすると、結婚は長続きしないのではないかと思います。
小林 分かつた! ぼくのところが長続きしているのは、奥さんがぼくを大事にしてないからだ。(笑い)
内藤 あんまりくっつかないほうがいいと思います。お互いに自由な時問があり、大事なときは一緒にいる。そうすると長続きするのかな。自分のすべてと思つている方が亡く
なると、もう立ち直れないです。自分の半分以上が逝ってしまう。それはそれで夫婦愛だと思いますが。自分があってお互いを尊敬しあうという立ち位置が大事かなと。やはり半
歩近づく距離感がすごく大事だと思います。
小林 そういう距離感があると喧嘩をんてないでしょう。
内藤 うちで喧嘩になるときは、私が忙しさにかまけて真剣に話を聞かず、聞き流してしまうときですね。彼から、子どもについての大事なことを自分だけで決めるのではなく、二人で真剣に話し合わなければいけない、と叱られます。
小林 それは喧嘩ではないですね。なんで喧嘩になるのかつらつら考えますと…うちで喧嘩をしなかった時期があります。四年前に女房にがんが見つかりまして、以降三年半ほ
ど喧嘩は全くなかった。そのときは思いやりを持っていました。気づかって。でもピンピンしてくると、どうも気に食わない、と派手に。
内藤 自分の考えに固執すると絶対に妥協はないです。対立。相手に干渉しないとは夫の言葉ですが、無視する、という意味ではお互いの文化、価値観に寛容である、ことですね。ヨーロッパには他宗教、他民族、他文化の人たちが住んでいますから、お互いを尊重しあっています。
小林 包容力かな。
内藤 同じ地球上で肩寄せ合ってすごすためには、相手を尊重していく。自分の考えを持ちながら、幸せに笑って仲良く生きていく。夫婦にもそういうことが大事だと。相手を
尊重し、相手をゆるし、自分もゆるしてもらう。
引き継いでいく互いの感謝の心
小林 その考え方を国と国との関係、民族と民族の関係に当てはめれば平和なんですよね。柔軟性、寛容性があれば。ぼくは見合いなんです。神戸に赴任したときに、女房は京都なんですが、会って、そのときに、世の中で伴侶はこの人しかいないと思った。
内藤 すごい!一目惚れですね。
小林 一年半ぐらい、毎日手紙で気持ちを。
内藤 同じじゃないですか、私たちと。(笑い)
小林 会話が成立しているところには家庭内暴力は起こらない。
内藤 うちは、夫が仕事を融通して一週間の半分くらいは夕飯を作ってくれ、思春期の子どもたちと家族そろって、わいわいおしゃべりしながら食事をいただきます。子どもた
ちが塾も予備校にも行かないので三人そろうのですが、今、そんな家ないでしょう。
小林 あまりにも望ましい姿ですねえ。そういう家庭を見ていると、今の日本に欠けている問題が見えてきます。
先生は、自分の家の畳で、赤ちゃんを産み、そして死んでいく。これを大事にされている。実はわが家もそうでした。七年前に八十九歳でおふくろが亡くなりましたが、九十二歳の親父が看取りました。二人暮らしで、面倒をみるのは大変だろうと親父に、つらいだろうから病院にいれたら、と勧めたら、猛烈に怒りましたね。みるのはオレの義務だ、と。
びっくりしました。若いころはよく喧嘩していたんです、親父が短気で。近くの姉家族やケアの方たちの手を借りて看取ったのですが、葬儀のとき「うめ、待ってろよ、すぐ行くからな」。朗報父は三か月後に逝きました。
内藤 大往生ですね。
小林 死ぬ一週間ほど前に電話で、預金通帳はどこ、書類はどこ、蔵のなかに何がある、と全部整理して。
内藤 もし私が死ぬときに夫がそばにいてくれないという状況になったら、これはすごく悲しいし、つらいですね。私は夫や家族と一緒にいたい、日本一貧乏な医者のまま。
人生で何かを得るときには何かを失うんです。死にゆくときは自分のいのちを失うとき、でも失うときは得るものもある。だから人生を振り返って、ああこんな人生だつたのかと評価して得る喜びもありますね。表裏一体です。
小林 二年前うちの犬が脳梗塞で倒れました。これはいけない、これと同じことがぼくに起こるかもしれない、と思いましたね。
内藤 犬?(笑い)
小林 そのとき遺書を書きました。遺書のことは家族には言いましたが、中身は公表していません。遺言の前文は「いい人生だつたと思う。喧嘩もしたけれど、何よりもいい子どもたち三人に恵まれた。何よりもそれを育ててくれた女房に感謝したい。そして、このあと子どもたちがみな仲良くやっていくように」……それを書きながら涙が出てきました。まだ死なないんだけど。〈笑い〉
内藤 そういう人生って、幸せですね。
小林 いろいろあつたけれども子ども三人健やかに育ち、孫も一人いて、イギリスで赤ん坊の準備をしているようだし。何が喜び、貴重だったかというと、やっぱり家族しかない。
内藤 今気になつているのは、私はいのちの最期の仕事をしています。家族も含めみんなで人生の最期を支えてきた。それを、私は燃え尽きずに元気に明るくやってこれた。でも最近、胸がザワザワします。いのちには最初があります。この最初が豊かに支えられる社会じゃないと本当の人生はない。幼いいのちや若い子どもたちが明るく元気で生きていられる社会じゃないと、最期の看取りはできない。赤ちゃんの誕生と若い子を育てる側の影がどんどん薄くなつている気がします。ですからいのちの看取りまでもがだんだん心細くなってくる。いのちを渡す相手がいない、不安になります。子どもを産まない、虐待する、小さないのちを社会が大切に育てられない…。
小林 それは制度ではなく、ひとえに家庭だと思いますね。夫婦のチームワーク。主張があって感謝がない社会に、感謝の心を引き継いでいかないといけないですね。
~あけぼの2006年10月号 作新学院大学教授 小林和男様との特別対談より~