時標
(山梨日日新聞2014年4月20日より)
甲府市で、進行がんの人が最期まで家で平和に過ごせるように、在宅ホスピスケアを提供する診療所を私が開業したのが20年前。当時は病院で亡くなる人が80%以上。がんの告知率も20%以下の時代だった。治療の可能性が乏しくなったがん患者をトータルで支えるホスピス医療についての理解は一般の市民だけでなく、医療専門家にも乏しかった。
ホスピス施設は1990年初めには全国で数ヶ所しかなかった。がん患者の選択肢は少なかった。ホスピスケアは現在、緩和医療として発展し、がん患者の尊厳を守るために、がん医療の大きな柱として位置づかれるようになった。がんと診断された時から緩和医療を受けられる体制を国は目指している。緩和ケア病棟は全国で300ヶ所に迫る勢いである。
がんによって亡くなる人が81年より死因の第一位になった。成人の3人に1人ががんで亡くなる。高齢者(75歳以上)に限定すれば2人に1人。国民病と言ってもよい状況の中で、国のがん対策はどうなっているだろうか?
2013年6月に、がん対策推進協議会の委員に私は任命され、協議会では在宅緩和ケア実践者として発言の機会も与えられている。
07年4月「がん対策基本法」が施行。これでがんの痛みを放置するのは人権侵害であると明言できるようになった。同年6月「がん対策推進基本計画」策定。これは12年6月に見直しがされた。私たち委員の任務は次の見直しのために、国民のために何が必要か中間評価を検討していくことである。
07年度からの10年間の目標は
①がんによる死亡者の減少(20%減少)
②全てのがん患者とその家族の苦痛の軽減と療養生活の質の維持向上
③がんになっても安心して暮らせる社会の構築 が大きな柱となっている。
私が若い頃、がんは撲滅すべき人類の最大の敵であり、“制圧”という勇ましい言葉も使われた。しかし、がんの予防、早期発見、どの地域に住んでも良質で高度ながん治療を受けられるようにする努力が続き、がんの研究推進に国は取り組んできたが、現在もがんは撲滅されてはいない現実がある。1990年代後半からがんは減少傾向にあるが、原発巣(最初の発生場所)による差は大きく、特に、膵臓がん、肝臓がん、肺がんの5年生存率は依然として低い。
予防、治癒効果の大きいがんがある一方で、治癒できず、がんと共に生きていくことが必要ながん患者も多数いる。がんの制圧から共存へ。国民もその点を冷静に受け止め正確な情報を得て自分の将来を決定する時代がきている。
今後は、高齢者で認知症とがんを合併する人が増加する。その人たちの居る場所(自宅、老人施設など)で、苦痛を緩和して尊厳ある人生を全うするための人材の育成と確保は、これからの早急な課題である。しかし、幸いなことに私たちは50年を経て緩和ケアという全人的苦痛を緩和できる技を手にしている。
がんがあっても尊厳を持って人生を生きるための支援体制のある社会を目指す。私は国のがん対策の方針をそう読み解いている。いのちを支えられる国。そのためにいのちのエネルギーの通う方針にさらになるよう、微力ながら努めていきたいと決心している。