手を離す
2008年3月14日の神戸新聞に掲載された連載記事「随想」より抜粋してお伝えします。
我が家の前庭に、小さな白い花スノードロップが顔を出しそれにクロッカスが続いて、春の到来を告げた。今年は寒さが長引き、体が縮こまった気持ちがする。明るさを増した日差しに向って、思いっきり伸びをした。
この1ケ月は、夫と交替で都会の道案内役で、子供の大学受験に付き添った。当日は、受験会場の遠くで手を振って別れた。そこから先は誰も助けてあげられないとお互いに知っている。
しかし、空き時間には神社めぐりに精を出した。親って愚かだぁ、と苦笑しつつ、鈴なりの絵馬を眺めて合格祈願。
日頃、在宅ホスピスケアで終末期の病人や高齢の方々に線細に向かい合うことが続いている。
知らない間に緊張や疲れが溜まっていた。
仕事から離れてこの受験期に、久し振りにたくさんの元気な若者とすれ違い、私まで心が若やいだ。どの子も希望のところに落ち着けますように・・・と全員のために心の中で祈りと声援を送った。
遠藤周作夫人の順子さんが、ある講演の中で、「乳児は肌身離さず、幼児は手を離さず、少年少女は目を離さず」という子育ての極意を語って下さったことがある。最近の若い親たちが、携帯メールを打つのに夢中で、親を求める子どもの声にも、視線にも気付かない光景に出くわすと言ってあげたくなる。
「子どもと手を繋げる時も、見つめ合える時も、人生の僅かなひと時なのよ。無駄にするなんてもったいない。たっぷり味わって。」と。
これを老婆心と呼ぶのかもしれない。たくさんの子育ての思い出を胸に、青年の旅に出発する子どもの手を、今こそしっかりと離して別れの手を振ろう。そんな希望の春を待っている。
2008年3月14日 神戸新聞「随想」より抜粋