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あなたらしく輝いて生きるために

(やくしん2013年12月号より)
私は、在宅ホスピス医として、いのちの最期にかかわる仕事をしています。自分のいのちが残り少ないことを知った患者さんたちが、自分らしく輝いて生きていくために支えていくのがホスピスなのです。

患者さんの思いを尊重して

 皆さんは、「治療はもう手遅れです」と言われたとき、それで人生がおしまいだと思いますか。違いますよね。病状を宣告されてからも一歩ずつ自分の人生を歩んでいかなければなりません。おそらく、最期のその日までの歩みが、生まれてきた意味を考える大きな学びになるのだと思います。
 私が研修医としての勉強を終え、大学病院に赴任したばかりのとき、二十三歳の女性の患者さんに出会いました。彼女は末期がんで、余命三か月と診断されていました。しかし、本人への告知はしていません。半年後にはこの世にいないかもしれないという事実を、私とご両親しか知らないのです。

 ある夜、彼女の病室を訪れて「もし病気が落ち着いて、体が楽になったら何がしたい?」と聞きました。すると彼女は「家に帰りたい」と言いました。
私は彼女の悲しむ姿を見て「病気が良くなるときがくるから、そのときに家に帰りましょう」と伝えました。すると彼女の目がパッと輝いたんです。入院したときは、家に帰れなくなるなんて考えもしなかったのでしょう。ご両親に相談すると、お母さんも「娘の願いが私たちの願いです」と言ってすぐに了承してくれました。

 それから、彼女の具合が良くなったときに家に連れて帰ることができました。三か月間自宅で過ごし、最期はお母さんの腕に抱かれて亡くなりました。彼女は、二十三年間しっかり生き切ったという輝きを、家族に残して亡くなっていったのです。

 当時を思い返すと、いささか無謀なことをしたと思います。でも、彼女の願いを叶えられたことが、私をホスピスの道につなげてくれたのだと感じています。

 キリスト教の神父であるアルフォンスーデーケン師が、「人間の尊厳とは、自分で考える、選ぶ、愛することができること」と教えてくださいました。
私が日本でホスピスの活動をはじめた二十年前は、本人への病名の告知はされていませんでした。治療を受けていても、それが自分の体にどんな影響を及ぼすのかも知らされず、苦しい抗がん剤治療もひたすら我慢して続けなければなりませんでした。治る可能性についても知らされないために、治療を受けるか受けないかも選ぶことができず、つらい治療を「自分で選んで決めたから」といって、その選択を愛することもできないのです。

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限られたいのちを幸せに生きる

ホスピスは、人間を支える医療です。病気になると体が苦しいですよね。そして心も痛みます。社会的な存在である自分を失う痛みやスピリチュアル・ペイン(魂の痛み)もあります。この四つの痛みを緩和するのがホスピスケアです。

 がん患者さんの七割近くが、炎症による体の痛みに苦しみます。耐えきれない痛みがあると、心や魂、社会的な痛みに目を向けることはできません。
そのため、私たちホスピス医が患者さんと向き合うとき、一番最初に体の痛みを緩和しなくてはいけないのです。

 現代のホスピス医療では、ほとんどの方が痛み止めによって笑って闘病生活をおくれるようになりました。もしがんになっても、痛みが耐えられないときは、「痛みを緩和してくれる病院を紹介してください」と医師に伝えていただきたいのです。
私がかかわった患者さんに食道がんを患うおじいさんがいました。そのおじいさんは最期の日々を、孫やひ孫に囲まれて自宅で過ごしました。

 自宅では、庭の手入れがおじいさんの仕事です。春になるとチューリップが咲いて、「きれいに咲いたね。おじいちゃんありがとう」と言われることが最大の喜びだったのです。この年も、私や看護師さんに見守られながら一所懸命愛情を込めて植えました。でも、おじいさんはチューリップの花が咲くところを見られないと感じていたのです。
それでも植える。どうしてでしょう。

いまを生きているからです。この方は、亡くなる五日前まで球根への水やりをして、〈チューリップを頼むぞ〉と、家族に背中で伝えていたのです。

 もう一つ、この方の望みは、毎晩焼酎を飲むことでした。食道がんですから、最終的にはそうめん2本しか食べれなくなりました。でもね、焼酎が好きだから、飲めるように自分で研究するのです。「顔をこの角度に傾ければ焼酎が飲みこめる」って。そして、亡くなる直前まで娘さんの作った柔らかいふろふき大根を食べて、ある角度で焼酎を飲んで「うまい!」つて言いながら残された日々を過ごしました。

 これも選択です。自宅で家族に囲まれながら穏やかな日々を過ごすか、病院で最先端の治療を受けるか。いろんな選択肢を知った上で選んでほしいと思います。「自分のいのちをどう生き切るか」という覚悟があれば、その人らしく、大胆に生きられるのです。「限られたいのち」という点では、私たち全員が共通しています。どんな道を選んでも、幸せになれる方法があるということを知っておいてください。