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末期がんでも訪問医療を活用すれば自宅で暮せる

通販生活2013年秋冬号より

日本で、最期を迎える場所が自宅から病院に転換したのは1976年。今では8割近くの人が病院で亡くなっています。
家で死にたいと望んでいる人は多いのに、なぜその希望は叶わないのでしょうか。
重い病気を患っていても自宅で暮せるように医療で支えてくれる「訪問看護」と「在宅ホスピス」を取材しました。

「明日はない」と介護し始めたところ…余命3ヵ月のはずが6ヵ月経った今も健在です。
市村美津子さん(65歳・山梨県)、美知子さん(62歳・山梨県)

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大腸がんだったが積極的な治療はさせたくなかった。
市村浪さん(93歳)が大腸がんとわかったのは、2012年12月のことでした。同居している嫁の美津子さんが外出から戻ると、浪さんがトイレで下血し、貧血状態で倒れていたのです。
「こういうときに慌てて救急車を呼ぶと、望まない延命治療をされる場合が多々あることや、認知症の人は混乱して暴れたりする場合もあることは知っていました。それで、とりあえずベッドに運んで寝かせたところ、落ち着いたので様子を見ることにしました」
翌朝、近所に住む娘の美知子さんが浪さんを病院に連れて行くと大腸がんが見つかりました。高齢ということもあり、「積極的に治療しますか」と医師に聞かれた美知さんは「させたくない。家に帰ります」と答えました。
「家に帰って義姉に家で看たいと告げたら、『じゃあいっしょに看ましょう』と言ってくれたんです」
美津子さんは、近くに住む在宅ホスピス医の内藤いづみさんを中心としたホスピスと在宅ケアの研究会に入っていて、自宅で最期を看取ることに関する知識を持っていました。
在宅ホスピスとは、医師や看護師のチームが患者の自宅を訪問し、家族と協力しながらホスピスケア(治癒の見込みがないがん患者などを対象に、体だけでなく心も含めた苦痛を取り除いてサポート)することです。

内藤さんの往診を週に1回受けながら、浪さんの在宅ホスピスが始まりました。朝夕は美津子さん、日中は美知子さん、夜は長男である美津子さんの夫が浪さんを見守ります。
「親をお風呂に入れたことも、浣腸したことも座薬を入れたこともなかったけれど、少しずつ上手になりました。ああ、母はこんな風に私たちを育ててくれたんだな、と感じています。こういう時間をもらえて、本当に幸せです」(美知子さん)

余命を告知されたことで、心の準備ができた。

浪さんは人が大好きで、お客さんが来るとニコニコ笑って話しかけます。ただ、5年ほど前から認知症の症状が現れ、お客さんが誰なのかはわかりません。徘徊などの周辺症状はほとんどないのですが、がんによる痛みをうまく訴えられずにいました。
認知症の人は、痛いと訴えたことを忘れてしまうケースもあるため、医師でもベテランでないと、痛みがあるかどうか見極めるのは難しいそうです。浪さんの場合は、下腹部に痛みがあるのを内藤さんが察知し、がんの痛み止めの貼り薬を処方しました。
その他には便秘のコントロールをしているだけです。
「食事は赤ちゃん用の離乳食ですが、トイレは自分で歩いて行けますし、取り込んだ洗濯物を畳みたがったりします。なにかしたいんですね。母は書道が得意なので、この前はお年玉袋にひ孫の名前を書いてもらいました」
お母さんのやる気を美津子さんが引き出しているようです。
「昨年の12月の時点では余命3ヵ月、桜は見られないだろうと言われました。明日はないものと思って一生懸命介護したら、母も頑張って、告知から6ヵ月以上が過ぎました。嬉しい誤算です。今はもう心の準備もできましたし、悔いはありません」(美知子さん)

今の穏やかな状態は、家にいなければありえなかったと思います。
塚田由美子さん(52歳・山梨県)

自分が看ると決心したとき在宅ホスピス医と出会った。
「こんにちは。きょうは顔色がいいですね」在宅ホスピス医の内藤いづみさんの声に、一ノ瀬よし子さん(82歳)の目元が、少し動きました。娘の塚田由美子さんがお母さんを自宅で看ています。
「私たち、が来ると、鼻から胃に通した管の入れ替えをしたりするので、あまりいいお顔をされません。でも『これは命綱だから、我慢してね』と声をかけると、管がスッと入る。協力してくれるんです」(内藤さん)
よし子さんは2012年12月初めに、以前手術をした脳腫瘍の後遺症で重篤な痙攣発作を起こし、救急車で病院に運ばれましたが、翌朝には意識不明に。それから1月末まで昏睡状態が続き、意識が戻ったときには、寝たきりで言葉も出なくなっていました。
「病院からは、これ以上治療法はないので退院してほしいと言われました。転院する施設を探したのですが、自分では痛いともかゆいとも言えない母を安心して任せられるところは見つかりませんでした。最期は家で逝かせてやりたいという気持ちもあったので、家で介護することにしたんです」
それからというもの、塚田さんは病院で看護師の医療処置を観察して覚えました。
「看護師さんがやっていることを、家で私がやろうと思ったのですが、失敗したらと考えると恐かったです」
塚田さんが内藤さんのクリニックを訪ねたのは2月。「在宅でホスピスケアをしてくれる医師がいる」と叔母さんが教えてくれたそうです。
「紹介状もないまま飛び込んだのに『一度お顔を見に行きましょう』と、いっしょに病院へ行って主治医と話してくださった。もう、心底ほっとしました」

母の姿が私の娘に与えてくれた感情。

退院してすぐの頃は、内藤さんの往診は週1~2回、内藤さんの指示によって近くの訪問看護ステーションから看護師、が毎日訪問してくれました。
「肺の動きが悪くてすぐに熱を出したので、夜中に電話して看護師さんや先生に来てもらったこともありました。でも、今は落ち着いています」
帰宅して4ヵ月経った現在、内藤さんの往診は医療保険で2週間に1回、訪問看護は週2回、そして訪問入浴が週2回。よし子さんは要介護5なので、訪問看護と訪問入浴は介護保険で、1ヵ月の費用は全部で6万円ほどです(おむつ代などは別)。
「それ以外のことは、私がしています。朝昼晩の3回、栄養剤と水分を混ぜたものを鼻から胃に通した管に点滴のように落とします。落とす速度は2秒に1滴。速いと下痢をしてしまうんです」
よし子さんは3年前に大腸、がんの手術をして人工肛門にしたため、その袋の交換も塚田さん、が行ないますし、オムツ交換や体位交換、痰の吸引や歯磨きなどの口腔ケアもします。
「2時間以上家を空けられないので、めげてしまいそうになることもあります。でも、母は家がいちばん落ち着けると思うのです。この前、娘が『ママの、バーバに対する思い
より、私のママヘの思いの方、が上だからね』と言ってくれました。母、が自分の姿を通して、娘にいろいろなものを見せてくれているのだと思います」

どのように死にたいかを考えることで、自ずと生き方が決まってきます。
内藤いづみさん

ホスピスとは建物ではなく人を支えるための哲学。
内藤いづみさんは1995年、山梨県甲府市にふじ内科クリニックを開業しました。
以来、午前中はクリニックで内科外来を、午後は在宅ホスピス医として往診をしています。
「ホスピスというと、終末期の患者さんが入る。“施設”だと思っている人が多いのですが、そうではありません。積極的な治療法がなくなった患者さんと家族の心や体の痛みを取り除き、支えるための“実践哲学”なのです。」
そのために行なうのが「緩和ケア」。今では病院内に緩和ケア病棟や緩和ケアチームがあるところも増えています。しかし、内藤さんが開業した当時、ホスピスや緩和ケアを知る人はごく少数でした。
「私か大学病院にいた80年代は、医療の使命は病気と闘うことであり、患者の死は敗北とみなされました。たとえ効果が期待できなくても、積極的治療を行なうのがよしとされた。その一方で、精神的な痛みはもちろん、肉体的な痛みも放置されていました。病院のベッドで何本ものチューブにつながれ、苦痛にのたうち回り、残された人生を自分のものとして生きられない大勢の人たちを見て、これでいいのだろうかと思ったのです」
大学病院を辞めた内藤さんは、ホスピスの本場イギリスでホスピスケアを学びます。
「家からホスピスに通っていたある女性は、全身に、がんが転移し、食事をとるのが困難になっていました。『このままではいけない、栄養剤を点滴しましょう』と私か言うと、彼女は『3時間も点滴につながれるより、たとえ一目しか食べられなくても、家族といっしょに食卓を囲みたい』と答えたんです。とても大きな衝撃を受けました」

死生観をしっかり持ち、縁をたくさんつくっておく。

「往診している患者さんは、グループホームも含めて24~25人です。常にそのうちの1人か2人は末期で、毎月どなたかが亡くなっていきます。緊急事態に備えて、私は24時間オンコール。すぐ出かけられるように、夜はジャージを着て寝ています」
現在、クリニックの看護師は3人。彼女たちだけでは手が足りないため、内藤さんは信頼できる訪問看護ステーションとチームを組んで、在宅の人を支えています。また、病院の緩和ケア病棟とも連携し、症状が重くなって家族が家でケアしきれなくなった場合などは、そこに入院できるようにしています。
「家と緩和ケア病棟を行ったり来たりする患者さんもいます。何がなんでも家でというのではなく、その人にとって一番よい方法は何かを探っていくことが大事です」
ホスピスという言葉が知られて、在宅医療を行なう医師も増えてきました。在宅ホスピス医と呼べる医師は、今どれくらいいるのでしょうか。
「名実ともにホスピス医と言える人は、全国で100人ぐらいではないでしょうか。在宅医療や緩和ケアを志向する若い医師も増えています。しかし、死生学を学んでいないなど、中身が伴っていないことが多々あります」
私たち患者側の状況も変わってきています。末期がんの人が病院を出て自宅に帰るなど、少し前は考えられませんでした。
「わたしが開業した当初は、在宅ホスピスの患者さんも家族も、自分で選択しただけに覚悟ができている人が多かったと思います。今は国の方針で入院から在宅へとシフトしつつあり、病院から出て行ってくれと言われて、しかたなく在宅になる人が増えています。さらに、一人暮しや高齢夫婦だけの世帯も増えています」
最期まで自分らしく暮すためには、元気なうちから準備しておきたいことがあるそうです。
「まずは自分がどのように生き抜きたいのか、どう最期を迎えたいのか、死生観をしっかりと持つこと。そして、医師でもケアマネでもお坊さんでもいい、いざというときサポートしてもらえるように、周囲の人との縁をたくさんつくっておくことが大事です」