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最期の時をその人らしく

内藤先生は山梨県甲府市の「ふじ内科クリニック」の院長。在宅ホスピス医です。治癒の見込みのなくなったがん患者が、最期の時を自宅で過ごせるよう、家族と協力しながらホスピスケアをしています。
深夜であろうが、明け方であろうが、具合の悪くなった患者の所へ飛んでいきます。そんなスーパーマンのような先生にお話を伺いました。


ひょうご人権ジャーナル きずな 2008年1月号より抜粋
末期がん患者の孤独
 自分の病気が治らないと判断された患者、特に告知を受けていない人は孤独なのです。
 医師になったばかりの25年ほど前。ある日、末期がんの患者から「家に帰りたい」という強い思いをぶつけられました。残された最期の時間を自分らしく生きたい、当たり前のことです。でも、日本にはホスピスケアがほとんどない頃でした。医療は科学であり、病気を治すことが唯一の目的。治癒の見込みがなくなった患者は医療者との関わりが稀薄になります。家族も、どう関わったらいいか分からず、腫れ物に触るようになります。そして、どんどん患者の孤独は深まっていきます。
 がんの痛みに抗がん剤の副作用が加わり、苦痛のために普通の生活ができないまま、病院で最期の時を待つ人が多かったようです。そんな患者の孤独になんとか手を差し伸べたいと、ホスピスケアの本場イギリスで研修を受けました。そして、帰国後1995年にクリニックを設立しました。
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人間として触れ合う機会を
ホスピス」は「ホスピタリティ」(親切なもてなし)という言葉から生まれました。人と人とのつながりです。最近は人と人との距離が遠くなってきました。たとえば携帯電話は便利ですが、人間として触れ合う機会を奪っています。医療の世界にもコンピュータが導入され、医師の場合も同じようなことが言えます。
 一昔前なら、患者の目を見ながら「どうしました?どこが痛いですか?」と聞き、聴診器を患者の身体に当てました。その距離20センチ。
ところが、パソコンが導入されてからは、患者に背を向けてデータが入力されたパソコンの画面を見る医師が多くなりました。患者とは1メートル以上離れています。これでは、患者の痛みは分かりません。医師と患者とその周囲の人が互いに目を見つめ合ってうなずき合う関係を取り戻したいと思います。
生きることは、息をすること
 患者の痛みには、身体や心の痛みの他にスピリチュアルな痛み(魂の痛み)があります。スピリチュアルの語源はスピラーレ(患)というラテン語です。「飲まない」「食べない」はすぐに死には至らないけれど、患をしなければ生きていられません。鳥の鳴き声や川のせせらぎを聞き、深い森の中で木に包まれて深呼吸する。そんなよりよい呼吸をすることが、より良く生きるための基本です。
 人間は誕生する時、母親の胎内、羊水での呼吸から肺呼吸へと変わります。この世の重さを感じながら一生を始めます。その最初の息が産声。そして、人生を歩んだ最期に「息を引きとる」のです。人は息から始まって息で終わります。だから呼吸は大切なのです。
幸福な最期の時を
 ある日突然、クリニックに見ず知らずの姉妹が訪ねて来ました。「内藤先生、お母さんを助けてください」。母親がスキルス胃がんであると告知を受け、苦しんでいる姿を見ていられず、1時間以上も電車に乗って来たのです。「先生が引き受けてくれるまで帰りません」と、待合室に座り込みの様相。
 その母親は言いました。「失うと分かってからでないと大切なものには気づかないものですね。幸せも気づかないところにあったんだ。私の幸せは子どものお弁当を作ることです」。彼女は在宅でホスピスケアを受け、痛みがやわらいだおかげで、母親としての幸せな最期の時を過ごしました。
 また、60年間連れ添った夫婦。3枚の印象的な写真があります。1枚目、末期がんのため寝たきりで動けず、怖いほど身体がやせ細った夫の写真。2枚目、彼を見つめる妻の写真。彼女は不思議なことに満面の笑顔です。3枚目、幸せそうに笑う夫の写真。本当にいい顔で笑っています。
最期の時を自分らしく、穏やかな気持ちで迎えられた満足感でしょうか。そんな夫の笑顔があるからこそ、付き添う妻も笑っていられるのです。