開催報告 2013年6月1日 第4回ホスピス学校
山梨県立新設図書館にて、第4回ホスピス学校を2013年6月1日開催致しました。
一部は田辺鶴瑛さん、田辺銀冶さんによる講談。
二部は内藤いづみ校長による“ホスピスの源流をたどる”テーマの歴史の授業。
いのちを学ぶ仲間たちのチームワークで今回も満員御礼。
図書館の多目的ホールで始まって以来の盛況ということでした。
ホスピスケアという末期がんの方々に向かい合う厳しい分野を実践していくのには力が必要です。
ユーモアを磨きながら楽しく、深く、学んでいくことを目標にしています。
今回も泣いて笑って皆さん学んで下さいました。
銀冶さんは明治時代、長州の青年たちが苦労を重ねてイギリスに渡り、その後、日本の発展に尽くした、という歴史を語ってくれました。当時、イギリスに行くのに船で4ヶ月半掛かりました。今は直行フライトで12時間。
真打ち鶴瑛さんは「内藤いづみホスピス物語」を披露。
実は、私の母、内藤富士丸(91歳)が当日参加することができましたので、特別に母のために「内藤富士丸物語」も加えて下さったのです。母の顔がキラキラ輝きました。
講談の登場人物の前で創作講談をして下さる、という私たちにとって人生の歴史に残るすばらしいひと時でした。
内藤いづみはなぜホスピスケアという険しい道を選んだのか、現代医療の中の緩和ケアという分野の源はホスピスケアです。その歴史を内藤いづみの歩んできた30年の道を振り返りながらお話しました。
1960年代に始まる最先端医療(遺伝子の2重らせんの発見など)の誕生と同時に、生と死の医療の創始者、シシリー・ソンダースとエリザベス・キュブラーロス医師のいのちに向かい合う仕事も生まれました。
そして、同じ時期「沈黙の春」という環境問題に対する警告書を世に壇上させたレーチェルカーソン女史もいました。この3人の強く、しなやかな女性が内藤いづみの師となったのでした。
現代に繋がるいのちの歴史。皆さんと真剣に学んだ半日でした。
次回予告
2014年2月1日(土) 同じ図書館にて開催予定のホスピス学校は音楽の時間。講師はフォーク歌手の小林啓子さん。とても素敵な女性です。平和のメッセージが響きます。
皆さん、こぞってご参加下さいませ。
運営委員から・・・
新設図書館始まって以来、初の多目的ホール満員御礼とか。頑張った甲斐がありました。今回も山梨県内にとどまらず全国から参加者が集まってくださいました。ホスピス学校で、いのちを学ぶ仲間達です。北海道、長野、神奈川県、静岡、千葉柏市、東京、四日市、郡上市、そして何と、タイからも。いのちのケアに国境も県境も人種の違いもないのです。参加者の皆様、熱心な学習態度に感謝致します。また、ぜひおいで下さい。
参加者から・・・
緩和ケアのナースの友人と一緒に伺いました。キュブラーロスの話や、シシリー・ソンダースの話を聴けて感激しました。ふたりの講談師の話も素晴らしい!会場が湧き上がりました。本当の緩和ケアを実践する力を頂きました。(訪問ナース)
先生にお会いできて、温かく素敵な日を過ごすことができました。91歳のお母様も素敵な方ですね。お会いできて嬉しかったです。次回のホスピス学校を心より楽しみにしています。(40代 女性)
2013年6月1日、あの日は本当に大盛況に終わりましたね。
北海道や関西からの遠来の方々もいらっしゃり、いのちについてのいづみ先生の身近なお話に老若男女、それぞれ今日の自分に、昨日の自分に、思わず切実に向かい合った濃密な勉学の時間でした。皆さん一皮むけた心をもってあの会場を後にしたと思います。
91歳を迎えた富士丸お母さんを鶴瑛さんがあのように講談され、いづみ先生のルーツはこの母にあり、とお父さんの義太郎さんまで出てきて、まさに歴史の一頁でしたね。
ホントにいい講演会でした。
しかも、あの日お母さんは何とステキだったことでしょう。会場の中で91歳とも思えない程立派で美しく輝いていましたね。
あの日は貴女にとっても母上にとっても人生の「集大成」になったと思いました。
(内藤いづみ母の親友 80歳より)