ホスピス医が明かす「人が死ぬ前に後悔すること」
PRESIDENT2023年9月29日号より、内藤先生のお話し部分を抜粋。
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家族を捨てた父親は、なぜ家族の元に戻ったか
私は約28年間で、4000人以上の命に向き合ってきた医師です。患者さんが私に教えてくださったのは「死に方ではなく、「生き方」のほうです。「人生の終わり」を意識して初めて、本当に自分がすべきことに気づき、思い切って行動する人がいます。
「余命2ヶ月から1年」
そう書かれた紹介状を持って、当院の外来を受診されたBさんもそんな一人です。60代の男性で、ご職業は経営者でした。コートを脱ぎ、私の前の椅子に腰を掛けたBさんは、すでにかなり痩せておられました。私の質問に真摯に答えてくれますが、全体的に口数は少なく、笑顔もありません。きつそうな表情で、がんの痛みに耐えているのが一目でわかりました。ほどなく、体力が急速に低下してきたため、在宅ケアに切り替えました。最後の数日間の始まりです。
Bさん宅にお邪魔するようになった私は、家庭の雰囲気に違和感を覚えました。まず、娘さんと息子さんが介護ベッドで過ごすBさんに近づこうとしない。奥様も、どこかよそよそしい。
ある日、奥様が息子さんに「男の子は力があるんだから、お父さんを抱き上げて」と頼むと、息子さんは嫌な顔もせず、Bさんを抱えてベッド隣のポータブルトイレに移動させました。かつて威厳に満ちていたであろうBさんは、息子さんに自分の命を預けているかのようでした。家族を隔てていた「見えない壁」のようなものは、どこかへ消えていました。
2日後、Bさんは昏睡状態となりました。私にお茶を滝れてくださった奥様が、こんな話をされました。
「先生、夫は好きな人ができて、この家を一度出て行きました。ですが、がんになってもう治らないとわかった3ヶ月ほど前、戻ってきたんです。私というより、子供たちに謝りたかったのだと思います。昏睡状態になる前、私と子供たちに、心から謝ってくれました。それまで私の心の中には深く暗い悲しみがありましたが、夫の一言で解けてしまいました」
奥様はそう言うと、ご主人の頭を静かに撫でました。
死にゆく人は、心底の声に気づきます。Bさんも、「目分がどこで何をしなければならないか」がはっきりとわかったのでしょう。恥を忍び、帰ってはいけない場所に帰ったのです。その翌日、Bさんは家族に囲まれて旅立ちました。来院から、ひと月でした。
人生の終わり、人はさまざまなことを学びます。これを「ライフレッスン」と呼びます。Bさんのライフレッスンは、謝罪すべき人をもう一度訪ね、心からお詫びすることでした。
「ありがとう」の一言がなぜ言えないか
社会的に成功し、物質的にも恵まれた生活を送り、他人から羨まれるような人ほど、人生の最期を迎えても「自分の人生はこれでよかった」という境地にたどりつけないように思います。
必要以上に多くのものを持ち、手放したくないからでしょうか。欲望や願望を実現していくことが人生の「成功」だと考えると、実際にどれだけ手に入れたとしてもきりがなく、永遠に満足はできません。
末期がんを患われた、70代後半の元経営者、Sさんもそんな方でした。得てきたものは大きいのですが、Sさんに残されたライフレッスンは、日常にありふれた行為を大切な人のためにする、ということでした。
Sさんは、現役時代に大企業のトップに上りつめ、肩書や財力ゆえに、在職時は自分の言うことを何でも聞いてもらえていたようです。人脈もあり、部下もたくさんいたせいか、退職後の夫婦二人きりの生活には馴染めなかつたと言います。地域に知り合いもいませんでした。退職後にがんが見つかってからは、奥様以外にSさんに手を差し伸べてくれる人がいなくなりました。
誰からも相手にされない孤独感とお金があっても思うように病気は治らない焦燥感で、とてもいらだっていました。
唯一の救いは奥様がワンマンなSさんに不平もこぼさず、介護をされていたことです。在宅に切り替えてからは、有能な訪問看護師に協力をお願いし、できるかぎりのケアを続けました。ある日、Sさんは「先生は僕を見捨てなかったな」と言ったのです。
生きる望みに執着していたころは、私の訪問を好ましく思っていなかったようです。信頼関係ができたと思った。
私は、Sさんにこう言いました。
「奥さんにはきちんと感謝の気持ちを伝えなさいよ」
企業社会で成功したシニアの方は、プライドもあってか、素直にお礼を言うのが萱子です。若い世代の方が思うほど、簡単なことではないのです。
ところが最後の最後、献身的に尽くされた班今様への繩蟻謝と講容情を、自分の言葉できちんと伝えたそうです。
「『ありがとう』を伝えるべき人に伝えること」が、Sさんにとってのライフレッスンでした。
最後の望みは、カンタンなことばかり
ホスピスと聞くと、「回復の見込みがない患者さんが亡くなるための場所」、ホスピス医というと「患者を看取るだけの医者」というイメージを持っている方がいらっしゃいます。
実際のホスピスケアは、痛みを薬でできる限り抑え、患者さんがやっておきたいことを実現してもらい、心身共に軽くなって穏やかに笑顔で旅立っていただくためのものです。そして、患者さんにライフレッスンを通じて「残りわずかの人生に、輝きを取り戻してもらうこと」なのです。
人生の最後に望むことは人それぞれです。「ジャズを一日中聴くこと」という男性や、病院から自宅に戻って「家族の洗耀物を畳みたい」と話した女性。
庭の花壇を整えるのが、家族の中での役割だった男性は「最後に庭仕事がしたい」と、同居する子や孫のために、寒風の中で嬉しそうにチューリップの球根を植えました。自分はそれが咲くのを見られないことはわかっています。
どれも拍子抜けするほど、ささやかな望みと思われるかもしれません。人それぞれのライフレッスンですが、そのほとんどは、「ごめんなさい、と言う」「ありがとう、と言う」「いつも通りのことをする」というように、大それたことではないのです。
残りわずかな人生だからこそ、やろうとするわけですが、勇気を出せば、今すぐにできることがほとんどだとも思うのです。