ホスピス記事

いのちの最期をどう過ごすのか

2012年11月号「Home Palliative Care(KYOWA KIRIN発行)のExpert Interview News Letter」より抜粋

在宅緩和ケアを日本に普及させるために地元甲府でクリニックを開業

ふじ内科クリニックは、在宅緩和ケアを日本に普及させるため、1995年に山梨県甲府市で開業しました。
私の医学生時代は、心やいのちを支えることに今ほど関心は持たれておらず、最先端の医療や研究に基づいて身体を診ること・治すことを教わりましたが、私はその点に非常に違和感を持っていました。結婚後、夫の故郷であるイギリスに渡り、縁あって、当時ちょうどイギリスの各地で立ち上げられていたホスピスの1つにボランティアとして関わることになりました。そこでは、終末期の患者さんが幸せそうに笑顔で最期の時間を過ごしていました。日本ではとても考えられない光景を目の当たりにした私は、「日本でもホスピスケアを普及させたい」と考え、日本に戻って地元甲府でクリニックを開業しました。
開業当初は、私と2名の看護師で患者さんを24時間オンコールで診ていました。在宅緩和ケアという概念はほとんど知られていない時代でしたので、他に連携する病院や訪問看護ステーションはありませんでした。当時はがんの告知も徹底されておらず、当クリニックを受診する患者さんの多くは、病院で痛みが放置されたことなどから病院不信となっており、こちらが病院と連携を取りたくても患者さんが拒否するといったこともありました。しかし現在は、がんの告知も認識されてきて、徐々に医療者にも一般の方たちにも在宅緩和ケアの概念が浸透してきており、病院や訪問看護ステーションとの連携も、国をあげて推進してくれるようになりました。当クリニックも、現在はスタッフである看護師3名、事務員3名と共に、いくつかの訪問看護ステーションと連携して患者さんを診ています。
在宅緩和ケアを行ううえで一番大切なのは、患者さんのご自宅で最期を迎えたいという意志がはっきりしていることです。患者さんとご家族が意志を固めて下されば、私たちは万全の体制を持って在宅で患者さんを支えていきます。

いのちのエネルギーの放出でトータルペインを軽減し、心に寄り添うケアを心掛ける

現在、がん性疼痛に対する薬剤の選択肢が増えたこともあり、身体的な痛みの除痛率は高くなっています。しかし、精神的な痛みやスピリチュアルな痛みの除痛率はまだ不十分である印象を受けます。身体的な痛みが取り除かれれば、次には死への恐怖や心の苦しみなどが出てきます。

私は、精神的な痛みやスピリチュアルな痛みを取り除くには、患者さんのいのちのエネルギーを心残りなく出し尽くすことが大切だと考えています。スピリチュアルペインの表出は、人それぞれ違います。
「死にたくない」と叫ぶ方もいるかもしれませんし、今までの恨み辛みを語る方もいるかもしれません。
人生の最期に残ったエネルギー、すなわち心の叫びをすべて放出することで、穏やかな最期を迎えることができるのです。
この最期のエネルギーの放出を病院で行おうとすれば、最悪の場合には不穏やせん妄と診断されて薬で鎮静されてしまうことも考えられます。
多くの患者さんが入院する病院という施設の限界もあるとは思いますが、この状態が不穏やせん妄ではなく、いのちの最期のエネルギーの放出であることを、病院の先生方にも知ってもらいたいと思います。
そして、こうしたエネルギーの放出には、在宅のほうが適していると思います。在宅であれば、私たちが手助けすることができます。生みの苦しみとして陣痛があるように、死への苦しみの1つの過程であることをご家族にも理解してもらい、患者さんを受け入れ、支えてもらうよう手助けをするのが、私たち在宅緩和ケアを行う医療者の役割です。
緩和ケアを担う医療者は、いろいろな側面から痛みの原因を推察し、患者さんの心に寄り添った除痛を心掛けて欲しいと思います。

しかし、そうした関係を築き、十分な緩和ケアを行うのには時間がかかります。がんの治療薬の種類が増えたことで、それまで対象とはならなかった症例にも薬物治療が行われるようになりました。
患者さんにとって良いことかもしれませんが、緩和ケアが必要な時期に、積極的治療に集中することで緩和ケアが不十分になる懸念もあります。
患者さん、ご家族、主治医がお互いに引っ張り合い、なかなか緩和ケアに移行できないといった、三者引っ張り合いの状態が長引くことになりかねません。
残りの人生に何がプラスになるのかを十分に考えて、治療を選択して欲しいと心から思います。

在宅緩和ケアの啓蒙が私の使命

私の仕事は、クリニックの経営、在宅緩和ケアの診療、在宅緩和ケアの啓蒙、執筆の4本柱で成り立っており、最近は啓蒙活動や執筆活動の占める割合が高くなってきています。
患者さんに生と死について考える機会を与え、自分の人生を一生懸命生きてもらうために、医療者および一般市民に対する啓蒙活動を行ってきました。
今では、私の講演を聞き、共に学んで育った医療者が、在宅緩和ケアを行う側として、訪問看護ステーションなどで活躍しています。

私は、講演を行う際に必ず3つのH、すなわち「Head」、「Heart」、「Hand」について話をします。「Head(知識)」は医療の知識を得ること、「Heart(温かい心)」はいのちに対する哲学や文化を学び、思いやりのある態度を持つこと、「Hand(役に立つ実践的な技術)」は冷静な判断力や体力、温かな手の必要性を意味します。
この3つのHを鍛えることで、他人の痛みや悲しみ、苦しみを共感することができ、患者さんの痛みに向き合い、大切な人を失う辛さを支えることができるようになるのです。

また、私たち医療者はあくまでも患者さんのお手伝いをする立場なので、患者さんのご自宅で最期を過ごしたいという意志が固まらない限り出番はありません。
患者さんやご家族に最期の過ごし方として在宅緩和ケアの選択肢があり、それを支える医師やスタッフがいることを知っていただきたいのです。そのために私は、講演会に参加したり本を執筆したりしていますし、患者さんになってしまった人、これから患者さんになるかもしれない人が共に学ぶために、医療者でも一般の方でも誰でも参加できる「ホスピス学校」という勉強会も立ち上げています。最近では、日々の診察の中で患者さんからいただいた印象深い「いのちの言葉」をまとめた本も出版しています(いのちのあいうえお)。

このような活動の甲斐あって、近頃は意志を固めて私のクリニックを訪れる患者さんも少しずつですが増えてきましたし、私の講演を聞いてくれた方が、いのちのリレーのバトンを渡すように私の想いを広めてくれて、日本中に在宅緩和ケアの考え方が波紋のように広がりつつあると感じています。

がん以外でもその時代に一番助けを必要としている人を救うこと、それが真のホスピスケア

介護保険が制定されて約10年が経過し、これまでより往診を行う医師が増え、ご自宅で介護を行う方々が増えてきましたが、家族力の低下に伴い、子供たちは両親から離れて生活し、それぞれに仕事を持っているため両親の介護ができず、高齢の介護者が高齢の患者さんを介護する、いわゆる老老介護が増えています。
しかし、在宅緩和ケアを老老介護でできるかどうかは、難しい問題です。在宅緩和ケアの場合、モルヒネの導入や点滴・経管栄養の中止など、いのちを支えるための重要な判断が必要となる場面が少なくありません。
ご家族や親族の同意が必要なのですが、近くにご家族がいないことが多く、後々に問題となるケースもあるようです。
患者さんご自身が認知症の場合は特に問題です。後見人でもない医療者の私たちに解決できる問題ではありませんので、私はなるべく患者さんや同居のご家族はもちろん、遠くに住んでいるご家族や親族の方も集めて、このような時はどうするのかといった意志の確認と同意を取るようにしています。
緊急時の連絡先を確認し、重大な治療方針の決断時の連絡先も事前の話し合いで決めておくことが大切です。

老老介護の問題は高齢化が進むにつれてますます大きくなっていますが、現在は何の助けもないのが実情です。今、最も助けを必要としている部分だと私は考えます。
その時代に一番助けを必要としている人を救うのがホスピスケア本来の意義だと思いますので、今こそ私の出番だと考え、老老介護でも在宅緩和ケアが可能であることを証明すべく、日々患者さんやご家族のお手伝いをしていきたいと考えています。

私はいつか「ひとやすみ村」を作りたいと考えています。高齢化、家族や地域社会の崩壊、がん患者の増加や新しい抗がん剤の登場など、世の中は大きく変化しています。

がん患者さんのような病人だけでなく、母親や子供、高齢者など、苦しみや痛みを抱えている方が増えていると思います。そうした苦しみを抱える多くの方々がほっとできる場所を作りたいのです。
そして、村に併設してホスピス学校を作り、神様に与えられたすべてのいのちが平等であること、いのちの大切さについて伝えたいと思います。いのちは平等ですから、子供から高齢者まで、みんなで学んでいきたいのです。

いのちの最期をどこでどのように過ごすのかを自分で決めることで、悔いなく充実した人生を過ごすことができ、安らかな最期を迎えることができます。患者さんが自分自身で人生の最期の過ごし方を決められる世の中にするために、今後も精力的に活動していきたいと考えています。